日本学術会議は廃止すべき理由!歴史的背景に問題!チャイナ共産党千人計画加担! [政府・自民党は常に国民を騙す!]
菅総理誕生後、政府が日本学術会議の会員候補6人の任命を拒否した事から、日本学術会議そのものが注目を集める結果となり、これが逆に会議そのもを存続させるべきでは無いと言う結論に至りました。
その最大の理由は、我が国の学術研究などの制限や研究や技術の流出に関わっている事が分かって来ました。
先ず、歴史的な史実から解説しますと、設立段階から戦後の占領軍GHQの影響化で1949年に学術研究会議として発足した組織ですから、当然、WGIPウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information Program)つまり、日本を弱体化させ支配する計画に基づいて発足した疑惑があります。
研究者による直接選挙を実施し、当時は「学者の国会」と呼ばれたそうですが、この直接選挙もWGIPやGHQの意向で意図的に誘導される可能性も否めません。
昭和25年5月6日には、我が国の国体をも破壊し兼ねない「元号廃止 西暦採用について(申入)」が出され、その中では「元号は不合理」とか「世界共通」と言う新自由主義とグローバル支配の影響が読み取れます。
更に、「元号は天皇主権の1つのあらわれであり天皇統治を端的にあらわしたものである」と我が国の国体を汚す様な決議がなされ、我が国を弱体させる方向に導いて来た事が伺われます。
更に、問題なのは、チャイナ共産党が推進する、世界中から優秀な頭脳を招致する中国の国家プロジェクトを千人計画と言いますが、これに日本学術会議は加担している事です。
ここに、現在明らかにされている千人計画に参加したとされる学者のリストを挙げさせていただきます。
新井健生(大阪大学名誉教授、元日本学術会議会員)[
五十嵐泰男(東京大学教授、西南大学資源環境学院生物能源環境修復研究センター長・教授)
宇高義郎(横浜国立大学名誉教授)
尾坂明義(岡山大学名誉教授、河南科技大学特聘教授)
柿島眞(筑波大学名誉教授)
梶野敏貴(北京航空航天大学教授、国立天文台教授)
勝村庸介(東京大学名誉教授、元日本原子力学会・水化学部会長、元内閣府原子力安全委員会外部有識者、元JAEA先端基礎研究センター放射線作用基礎過程研究グループ グループリーダー、元公益社団法人日本アイソトープ協会常務理事、米国化学会会員、日本原子力学会会員、日本化学会会員、放射線化学会会員)
木田建次(熊本大学名誉教授、四川大学教授)
小林裕太(島根大学特任教授)
齋藤裕(北海道大学特任教授、福建省農業科学アカデミー名誉教授)
島袋隼士 (雲南大学助理教授)
進藤龍一(国立研究開発法人理化学研究所客員研究員、北京大学准教授)
住友勉(技術者、特変電工昭和電纜附件有限公司日本人専門家)
関根利守(北京高圧科学研究中心研究員、四川大学客座教授、大阪大学招聘教授)
高畑亨(浙江大学教授)
谷畑勇夫(北京航空航天大学教授、大阪大学核物理研究センター特任教授)
田村幸雄(東京工芸大学名誉教授、元日本学術会議連携会員)
土井正男(北京航空航天大学教授、名古屋大学・東京大学名誉教授、元日本学術会議連携会員)
富江敏尚(長春理工大学理学科特聘教授)
永田浩(株式会社日本真空科学研究所所長)
服部素之(復旦大学教授、中国生物物理学会会員)
樋口亜紺(国立研究開発法人理化学研究所開拓研究本部客員研究員、台湾国立中央大学教授)
廣田薫(東京工業大学名誉教授、日本学術振興会北京連絡センター長)
福田敏男(名古屋大学名誉教授、元日本学術会議会員)
藤田豊久(東京大学名誉教授)
藤田盛久(江南大学生物工程学院教授)
松江勇次(九州大学特任教授、中国天津農学院客員教授)
松尾豊(中国科学技術大学教授、名古屋大学教授)
真嶋哲朗(大阪大学産業科学研究所招聘教授、元光化学協会会長、元日本光生物学協会会長)
前田龍太郎(国立研究開発法人産業技術総合研究所、その他部局等、研究部門長、西安交通大学特聘教授、元日本学術会議連携会員)
前谷達男(WOLONGモーター制御技術株式会社 京都研究所 代表取締役社長)
三田和英(西南大学教授、農業生物資源研究所上席研究員)
森欣司(東京工業大学名誉教授、元日本学術会議専門委員)
吉川榮和(京都大学名誉教授)
吉川邦夫(東京工業大学名誉教授)
渡辺元太郎(浙江大学物理学系 ZJU 100 Young Professor)
※赤い文字背景の部分はチャイナ共産党との接点が深いと見られる千人計画の参加者です。
これらの仲介を日本学術会議が担っていた疑惑が予想されます。
こうして、我が国の先端技術や研究成果がチャイナ共産党に差し出されて、軍事目的や生物兵器の開発に使われている可能性は否定できないのではないでしょうか。
現地スタッフの乱!日本人エスパーの弱点は激辛攻撃、超激辛メニューが続々!第5話 [私はこうして起業した!40年で総資産5億円超に!]
写真はシンガポール支店の最後の日にスタッフが送別会をやって下さった時のものです。
写真中央にいらっしゃるのが、現地のマネージャーで、彼は口癖のように「この国に来たら食べる事は遠慮するな勘定は俺が持つ」と言って食事の度に皆にご馳走して下さいました。
シンガポールは当時物価が安く、6人前後でたらふく食べたり飲んだりしてもそのお勘定は、日本円で5千円程度ですから食費は驚くほどかかりません。
また、彼らは、香港人も同じですが、お寿司の様な冷たいものは食べない習慣のようで、とにかく冷えたものは食べませんし、スパイスの効いてたものを好む背景には、暑さの為に食べ物が腐りやすくからの様です。
特に、水道水や生水は危険で、飲めば下痢をする可能性が高いそうで、飲み水はペットボトル入りのミネラルウオーターしか飲まない様にしなければなりません。
オフィス等では必ずミネラルウオーターの樽が置かれた、ウオーターサーバーが必ずありますのでその水を飲みます。
シンガポールでは、水が自給出来ず、水道水は隣国のマレーシアから輸入しているのです。
食事は屋台が多く激安で、水代わりにサトウキビの茎をローラーで潰しただけのサトウキビ水を飲むのですが、ほのかに甘く爽やかな味で、一見不潔そうに見えるのですが、これでお腹を壊す事はありませんでした。
また、屋台の店頭では様々なフルーツが売られ食べやすい様に串にさしたものが売られていますが、現地スタッフの話では、フルーツでお腹を壊す事はないそうです。
夜のシーフード屋台は楽しい上に美味しいのですが、店先に活きた魚が水槽に入れられて泳いでいるのを選び、その料理法を指示してオーダーするのですから、これは現地スタッフがいないと注文すらできませんでした。
私は、食べ物の好き嫌いが無いので、世界中どこの国へ行っても現地の食事が楽しめるという特技がありますので、何処の国へ行っても食事に困る事はありませんでした。
話は変わりますが、私はエスパーだと言って、現地スタッフと飲み比べをしてもゲームをしても勝ち続け、やはり日本人は強い事をアピールする事に大成功しました。
面白い事に、現地スタッフが私の弱点は何か探り出した様で、現地スタッフの乱が起こりました。
それは、あるタイ料理レストランへ行った時の事ですが、店の中は全体的に、様々なスパイスの激しい香りが漂うタイリゾート風のレストランに案内されました。
すると運んで来る料理が辛そうな料理でばかりで、私の目の前の大皿には青唐辛子が敷き詰められた様な料理で匂いも激しいピリピリした青唐辛子の匂いがします。
スタッフが「これはタイの美味しい料理ですから、どうぞお召し上がりください」と言われました。
私が、食べようとすると、円形のテーブル座っている人たち全員の視線が私に集まっている事を感じました。
これは、きっと何かを仕掛けているぞと感じ、その意図は何かと予想すると、激辛を食べたリアクションを期待していると推察しました。
そこで、皆の予想を裏切る事にして、全く辛いと感じないと言う演技をする事にしました。
その食事をスプーンですくい、口に放り込みと表情を変えず数回かみ飲みこむと、開口一番に「もっと辛いのは無いのか」と聞くと、全員が大笑いしてしまいました。
暫く笑いが止まらず大うけでした。
笑いのツボは、皆の予想を裏切る事をしたり、予想外の展開になると人は笑うもので、こうしたテクニックは、浅草の園芸ホールの寄席などをよく見に行っていて芸人さんの舞台を見ながら学びました。
この他に、向島の料亭には幇間さんという芸人さんがいらして、宴席をなごませる芸を披露しそれを生業にしている方も居てこうした事も接待の場では必要だと思います。
こうして、シンガポールでも人を楽しませ、よい思い出が作れた様です。
次回の続編は「海外出長は海外派遣要員選定だった!世界4大マーケットからオファーが!」をお送り致します。
シンガポール金融市場を開拓する大和魂!楽しい日本式エンターテインメント作戦!4話 [私はこうして起業した!40年で総資産5億円超に!]
翌月曜になると午前7時20分にホテルに写真のロニーが自家用車で迎えに来て初出勤ですが、毎日の通勤は車で高層ビルの地下駐車場に入れてエレベターで26階まで上がるとオフィスがあり、景色も良好でした。
当時のデイリングルームはこんな感じで、相場の動きやニュースは現在の様にモニターが液晶化されておらず巨大なブラウン管のモニターを天井に吊り下げていました。
中でも最も重要なのが、全世界の金融市場の音声を伝えるスピーカーで最新のレートと取引所の雰囲気が聞けるので、ここから最新の相場の動きが分かります。
この日は、午前中からシンガポール証券取引所(Stock Exchange of Singapore)を訪問し、取引所の所長と合い市場の動きを見学し、場立ちの人達が株式や債券の取引を行っている光景を見ていますと、これから更に有望な市場になる事が予見できました。
夕方には、支店の取引先を訪問するのですが、シンガポールは灼熱の暑さで移動が大変かと思いましたが、高層ビルの中に集中しているので、殆どがエレベターを上から下へ下って行くだけで多くの取引先を回れますので効率が非常に良いのです。
更に、ビル同士をつなぐ通路等がありますので、これを使い隣のビルに行き同じ事を繰り返す訳です。
こうして訪問した中で、感触の良い得意先を接待に誘い出すのですが、これも意外に簡単で海外駐在員の日本人ディラーは、新鮮な日本の情報に飢えていますのでこうした情報を知りたくて快く応じて貰えました。
接待先は、今は無くなってしまいましたが、ホテルニューオータニ・シンガポールの中に東京の高級料亭千羽鶴と言う所で、そこでは本格的な日本の寿司が食べられますので、皆さんに大喜びされました。
美味しさの秘訣は、全ての寿司ネタが東京の築地から航空便で直接取り寄せているので、日本本土の味がそのまま味わえるので、お客様に大変喜ばれました。
価格は当然高価で、日本国内の料亭と同じか少し安い感じでしたが、4人で10万円程度のお値段です。
その後は、現地スタッフの進める当時流行っていたキャバレーへ行きショーを見ながら女性と会話を楽しみます。
そこうしている内に、日本のディラーが集まるクラブがある事が分かり、そこへ行くだけで新しい取引先を獲得できる事が分かりました。
しかし、日本語が出来ない現地スタッフには重荷になりそうでしたので無理強いはしませんでした。
現地スタッフとの飲み会も多く、写真はバーで東京で流行っているカクテルの作り方を教えている所です。
シンガポールでも香港で流行っていた、ファイブ・テン・ゲームが人気で、負けるとグラスのウイスキーを一杯飲み干さなけれなりません。
ここでも「私はエスパーで、君達には酒でも絶対に負けない」と豪語してこのゲーム勝ち続けると、シンガポーリアンは面白い程、酒に弱い様で次々に飲み過ぎでダウンしてしまいます。
そうすると別の方が勝負を挑んで来るので多勢に無勢の感がありますが、実は、接待慣れしている私は、飲んだふりをしてトイレに行って吐いてしまうので殆ど酔っておらず、酔ったふりをしているのです。
これは、イギリス人とビールを飲み合うと、ここでも様々なゲームが始まり負けると飲まされるのですが、イギリス人は体格が大きい上に、内臓の関係でアルコールの吸収率が悪いそうで、酒にとても強いのです。
そこで、まともに飲めば日本人は皆ダウンしてしまいすが、こんな時に役立つのが上記の飲んだふり酔ったふり作戦が不可欠でした。
何しろ彼らは大量にビールを飲みますし、日本のアサヒビールは特に美味いそうで、水の様にがぶがぶ飲んでしまいました。
話は戻りますが、シンガポーリアンが、驚いていると私は「本当の日本人は武士道精神があるので何事にも負けないのだ」言うと唖然としていました。
結果的に、数人がダウンしてその場に寝込んでしまいましたが、これも彼らにとって楽しい思い出になる筈です。
この写真は昼休み中現地スタッフがいたずらで撮影したもので、連日3時間程度の睡眠時間ですが、10分から20分程度昼寝をすると頭がすっきりするので必ず行っている光景です。
きわめて短時間の睡眠ですが、これでも結構疲れが取れますし、冴えた頭でないと仕事のミスの原因になりますでこうして体を休めます。
これが、激務の国際金融市場で生き残る秘訣かも知れません。
また、こうした国際金融市場で学んだ金融の知識が後の人生で大きな富をもたらす土台になるのです。
この事は、逐次解説して行きます。
次回は、「日本人エスパーの弱点は激辛攻撃、超激辛メニューが続々!この危機をどう乗り越える?」をお送り致します。
シンガポールでも人気者に!日本人の強さをアピール!山下大将がイギリス軍破る!3話 [私はこうして起業した!40年で総資産5億円超に!]
シンガポールに土曜の午後到着し、翌朝オーチャード ホテル シンガポール(Orchard Hotel Singapore)で朝食を食べているとインド人と見られる体格の良い給仕が大きな看板を持って歩いている、良く見るとそのプラカード( placard)に私の名前が書いてありました。
直ぐに給仕を読んでチップを渡し、彼から伝言の書かれたメモを受取ると、1時間後の午前10時にホテルのロビーに迎えに来ると書かれていて、今日は日曜なのに何故か、と言うと現地スタッフが観光に連れて行ってくださいました。
既に、香港から面白い日本人がそちらに行くぞと言う情報が流れていた様で、既に歓迎ムードでした。
最初に連れて行かれたのが写真のセントーサ島(Sentosa Island)で、昨年、トランプ大統領と北朝鮮の金正恩会談が行われた事で有名になった場所です。
ここは、大東亜戦争時代「マレーの虎」と言われた、山下奉文陸軍大将が昭和17年に、8日間の激戦の末イギリス軍を破り、パーシバル中将を無条件降伏させた当時を伝える博物館がありました。
この蝋人形を見ると分かるのですが、黄色人種の日本人がリアルに作られ、イギリス軍のパーシバル中将らは、白人なのに浅黒く作られている事からシンガポーリアンのお気持ちが伺われます。
モノレール5番駅付近に近づくと、いきなりジャングルの中から機関銃の閃光や当時の巨大な日本軍大砲と爆音と共に日本軍の要塞が現れます。
アジアが白人のイギリスの植民地化される中で、唯一日本が軍事的に立ち上がり欧米列強を撃破し、湘南島(Singapore)では、列強のイギリス軍を山下奉文陸軍大将が降伏させたのですから当時の人々は感激したそうです。
しかし、戦後我が国では、米占領軍GHQが行っていたWGIPウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information Program)「日本民族から独立心を奪い、贖罪意識植え付ける政策が実施された」でこうした事実は抹殺されてしまいました。
でも、現地の人々はこれをちゃんと知ってい居て、親日的な人はが多いのはこの為です。
私が面白かったのは、旧市街のチャイナタウンで、現在では再開発で消滅していると思われますが、デズニー映画のパイレーツ・オフ・カビリアンで登場する様な雰囲気のシンガポールがまだこの時には存在していました。
明日の当ブログでは、「シンガポール金融市場を開拓する日本式接待大作戦!」をお送り致します。
ハッタリこそ海外出張のコツ!海外では学歴も名門校も通用しない!稼げる人をPR2話 [私はこうして起業した!40年で総資産5億円超に!]
写真は、当時香港で流行っていたファイブ・テン・ゲームをしている場面で、最初は両手を握りどちらか双方で代わり番こに、例えば「I say Five」と言ったら10本の指を広げ「10」を出すと、これを受けた方が勝ち、間違って「5」を出せば負けとなるジャンケンの様なゲームです。
こうした事から、彼らがゲーム好きである事を見抜きました。
そこで、事前に香港そごうデパートで仕入れておいた手品が効果を発揮します。
先ず最初にハッタリが重要です。
そもそも海外では、日本の様に一流大学を卒したとかでは、相手に通用しませんから、成功者の証である金製品を何気なく身に付け、私の場合は黄金のロレックスでしかもベゼルにダイヤで装飾されたものを使いました。
この方法は、私に英語を教えたアメリカ人から学んだ方法で、彼は常にポルシェでしかも上等なスーツで、高そうなピカピカの蛇革アタッシュケースで会社にやって来ます。
つまり、これだけハイレベルな生活をしているのかだから報酬も高いのは当然であり、それだけの能力がある事をアピールしているのです。
これは、アメリカなどでは普通の事で、日本は縦社会構造ですから、逆に控えめな方が無難な為にやりたがりません。
また、私のオーナーは、英国王室とも親戚関係にある貴族ですから、飾らなくても貴族と言う確立された身分と、そもそも世界的な大富豪ですからその必要が無い方もいらっしゃいます。
こうした場では通用しませんが、アメリカや新興国である香港・シンガポールではかなり効果があるのです。
そこで、手品の登場ですが、開口一番で「私は、エスパー」だと告げて先入観を持たせ、様々な奇跡を起こします。
実際には手品ですから、仕掛けがあるのですが、誰も見抜けず、すげーやつが東京から来たと話題になり、あっという間に香港ブランチの人気者になりました。
また、日本企業との橋渡しもしっかりやり、お客さんの接待を教える為に、某銀行に夕方裏口から伺うと、警備員に拳銃を突き付けられ、やはり香港は治安が良くない事を痛感しました。
実際には物凄い格差社会で、大富豪は豪邸に住んでいますが、庶民は20階建て位の高層住宅に住んでいますが、中は狭くお客を自宅に呼べる状態では無い為に、自宅に案内される事はありません。
しかも、こうした建物に近寄る事すら危険で、高層住宅の上からテレビが投げ捨てられる事もあるそうで、現地のテレビでは高層住宅からテレビを捨てない様に注意喚起するCMが流れていました。
話は戻りますが、お客さんを誘い出して食事に誘いお酒を酌み交わす事で人間関係を作り、日本人に向いた接待を教えますが、文化の違いもあり、ここでは家族まで参加するのが普通ですからその要素も否定しません。
しかし、相手が単身者であったり、重要な商談がある時はやめた方が良い事も教えました。
金融の世界では、莫大なお金が動くので大変稼げるチャンスに恵まれますし、それを実現するには相手から信頼される、信用が一番大切で更に好かれる事が重要です。
海外では、相手はあなたがどの様な人物であるか知るには、先ず持ち物から判断されますし、その次には好きになれる人物かや育ちと教養を見られます。
これは、食事のマナーやプロトコル(protocol 儀礼)使用人などの目下の人への接し方で直ぐに見抜けるものです。
1週間程の香港滞在でしたが、夜遅くまで接待漬けでしたので平均睡眠時間は3時間程でした。
明日は、シンガポール支店へ行き皆さんをびっくりさせます!3話に続きます。
人生初の海外出張!日本人ゼロの海外支店で自分を売込め!英語力よりも人間性!1話 [私はこうして起業した!40年で総資産5億円超に!]
ご覧の写真は、成田空港発香港啓徳空港(Kai Tak Airport)行キャセイパシフィック航空( Cathay Pacific Airways Limite)CX714便で、香港カイタク空港に到着した時のもので、この日は私の誕生日でした。
空港で日本円で20万円を香港ドルに両替したら驚きました、100香港ドル札束が10個カウンターに積み上げられ、当時のレートでは1香港ドル20円程度ですから10000香港ドルになる訳ですから、100枚の札束が10個になる訳です。
これ御程経済格差がある事に驚きましたし、物価が安く驚きましたし、当時はおもちゃと言うと殆どがMeade in Hongkongと書かれていた背景には価格が安いからです。
この香港カイタク空港当時最も危険な空港と言われ、新空港の建設が計画され始めた頃で、まるで大都市のビルの中を突っ込んで行く様な着陸態勢で降下を始め、真下にはあの有名な巨大なスラム街九龍城が良く見えました。
ホテルは写真のこの傍にあり、明日、香港ブランチ・オフィス訪問の前に現地調査を行い、先ず、近くにそごうデパートがあったのでそこへ入りました。
デパート売り場は、日本のそごうと変わらない感じの販売スタイルで、その中で面白い事を発見しました。
それは、手品売り場があり、日本お手品が大量に置いてあるのを見つけこれは接待のネタに使えると思い、数種類の手品を買い、やり方を教わり、ホテルへ帰ってから練習をしました。
朝になると香港支店のスタッフが車で迎えに来て会社のオフィスに向かいます。
これが香港支店のあるリッポーセンター(Lippo Centre)(ちなみに当時の名称は(Bond Centre))ビルで、香港の金融街の中心にあり、中にはバンク・オブ・アメリカなど名だたる金融機関が入っていました。
内部はこんな感じて東京と比べるおっとりしていて、週末の金曜の午後になると皆ソワソワし出して帰ってしまうのです。
私も誘われ、これから会社が保有する会員制のリゾートクラブに行くそうで、アストンマーチンやポルシェなどの高級スポーツカーが行列して、郊外の保養所に向かいました。
その保養所は、海の見える小高い丘の上にある広大な広さのある施設で、大きなプールやテニス場、スカッシュコート、レストランがあり、庭園ではシェフがバーベキュー焼いていて好きなだけ食べて良いのです。
ここでの費用は全て会社が福利厚生として社員の為に負担しており、海外ではこのように福利厚生が進んでいる事を痛感しました。
第2話「人間力とハッタリ重要な海外営業!」で自分を売込めに続きます。
ビッグプレーヤー大口顧客を攻略する!厚い壁をぶち破れ!接待の本質は楽しいこと! [私はこうして起業した!40年で総資産5億円超に!]
前回引き続き、国際金融市場での仕事についてお送りしますが、実は、ご覧の写真の金庫をぶち破る程大変な仕事を任されていたのです。
マネージャーが君の仕事はこれだと指を指したのは、専用回線の並んだボードで、多数の金融機関と直接通話の出来るボタンが並んでおり、しかもこれまでのディラーが攻略出来なかったり、ラインカットと呼ばれる「電話禁止」措置が取られた取引先ばかりでした。
毎日、この専用回線の常に押し続け連絡を取る訳ですが、1カ月押し続けてもどこも電話に出てくれませんでした。
こちらが電話を掛けている時は当然先方の電話回線ボタンが点滅している筈ですが、出ない事は無視されているか相手にされていない事を意味します。
2ヶ月目に入ると、電話が繋り相手が出たのですが「バカヤロー」と言われ直ぐに切られますが、またその直後にまたこちらからコールバックするのですが、出てくれません。
この時になると、他のラインも出てくれる様になりますが、直ぐに切られましたが、直ぐにこちらからコールバックするの繰り返しをしていると、先方も私がどの様な人物なのか知りたくなった様で、「一度会いたいから来なさい」と言われ、内心ではやった!と言う感じでした。
上司とタクシーで先方に向かう際に、上司は「時間が勿体ないから移動はタクシーを使え、通勤もタクシーだ」と言われ、それそれ以来電車に乗る事は無くなりました。
相手は国際金融市場で恐れられている方で、これまで何人ものディラーがラインカット「電話禁止」措置が取られたり、取り引く停止を言われている方ですから私も上司も大変緊張しました。
しかし、私はこの方ならフィーリングが合いそうだと感じ、向こうも何故か一目置いて下さいました。
その後が勝負で、夕方になると接待の為の食事に誘う電話を入れ続け、遂に引っ張り出す事に成功しました。
最初は、私の過去に遊んでいた六本木で食事して、綺麗な女性のいるナイトクラブ、そして更に、相手がお酒が好きな事が分かるお酒の専門店へ案内して、朝まで飲み明かしました。
翌日は、仕事がある為に殆ど寝ずに出社し、先方へお礼の電話を入れると、双方が二日酔いである事が分かりましたが、その後、最初の取引をして下さいました。
こう言う感じで次々にビッグプレーヤーと呼ばれる大口顧客を攻略して実績を積むと、上司から「君は接待費の上限は無しだどんどん使いなさい」と言われました。
経理課長からは、接待費を10万円使えばそれと同額に税金10万円が付くのでそれ以上稼いでくれと言われました。
1日で最大に接待費を使ったのは、100万円で最初は銀座の料亭で懐石料理を食べ、お客様の同僚がまだ会社で働いている事が分かると、料亭の女将さんにお弁当を作らせそれを届けさせました。
食事が終わると、銀座の高級クラブへ行くのですが、このクラブの女性は実際にはモデルさんなどをしている方が多く美人だらけで、座っただけで5万円と言われる場所です。
流石に一晩で100万円となると、経理に請求書を回すとこうした情報が他の社員に漏れて「使いすぎ」批判を受けた事があり、それを聞いた役員から役員室に呼び出され「頑張れよ」の一言でした。
その日の内に、接待したお客から大口の取引をして下さり、300万円の手数料が入りましたので、そのコンファメーションスリップ(Confirmation Slip)為替取引明細を役員室に持って行くとその後、誰も文句を言わなくなりました。
当然、お客様は大喜びですし、会話も弾み人間関係も濃厚になり、取引もスムーズになりました。
こうした高級店での注意点は、接待する側が女性にのめり込んでしまうと破産する人が多く、実際に何人もそうして破産する方を見て来ました。
その際の鉄則は、接待の目的はお客さんを楽しませ、人間関係を構築する事ですから、自分が楽しんだら負けです。
また、高級クラブや高級料亭では、そこのママや女将さんと仲良くなり、仕事が出来る人だと認められる事が重要です。
こうした関係が出来ると、お客さんの接待ではお客さんの好みの女性を回してくれたり、場を盛り上げて貰える様になります。
営業畑の仕事を知らない人や出来ない人は、会社のお金で遊んでると批判される事がありますが、実際には使う以上稼いでいますし、たまにはケースバイケースで自分のお金でカバーしなければなりません。
それはどう言う事かと言うと、常時同じ店ばかりではお客さんが飽きてしまうので、良いお店を自分で先ず行ってみて探す事になり、こうした費用は会社は出しませんし、サラリーマンではこれは経費として税の控除も出来ません。
しかも、良いお店を見つけたら時々訪問し、ママや女将さんと良好な関係を作らなけでば、接待の時にちゃんと動いて貰えません。
これが出来ると、遊び慣れたおお客さんでも飽きさせませんし、競合他社の営業マンの多くは、グルメ情報誌やガイドブックに掲載された場所ばかりですから、大きな差を付ける事ができます。
次回は、外資入社3カ月でろくに英語もできないまま、急に海外出張、現地支店には日本人は0人、仕事は「現地スタッフが日本企業の顧客に食い込めていないからその橋渡しをせよ!」をお送りします。
尖閣大正島沖に中共公船2隻が領海侵入!中共が嫌がる台湾を独立国家として認めよう! [日本の領土を後世に残せるのか?]
ご覧の写真はピントが合っていませんが、2012年8月に尖閣諸島で漁業活動をした際に、見かけた航空自衛隊のE-767早期警戒管制機(AWACS)です。
この事から我が国は尖閣諸島を常時警戒し、守つている事が分かります。
この機の特徴は円盤上の円形レーダーで付近の航空機やミサイルの接近を早期に探知で来るそうで詳しい事は軍事秘密です。
第11管区海上保安本部によりますと、チャイナ共産党の海警局の船2隻が11日の午前11時前、尖閣諸島の大正島の沖合で日本の領海に侵入しました。
2隻は、日本の漁船に接近する動きを見せるなどして航行を続け、13日午前2時すぎには領海への侵入が39時間余りを超え、8年前に政府が尖閣諸島を国有化して以降、最も長く領海侵犯を続けています。
チャイナ共産党のこうした嫌がらせの背景には、最近の国際情勢が台湾を独立国家として認めようと言う動きに対するけん制として我が国に、そうした動きに乗らない様にと言う意味で行っているのかも知れません。
それなら、逆にチャイナ共産党が嫌がる台湾の独立をみんなで支援する形で抗議の意思を示すのが効果的かも知れません。
チャイナ共産党が何故台湾が独立するのを嫌がるのかと言うと、西側諸国に加わりアメリカと安全保障条約を締結されると、一気にチャイナとアメリカの軍事バランスが崩れてしまうからです。
それは、戦後マッカーサー元帥が指摘した、「台湾は空母20隻分の価値がある」と述べています。
その理由は、台湾が巨大な浮沈空母になり、しかも日本の富士山よりも高い玉山の標高は3,952mあり、ここにレーダー基地を設置すればチャイナ共産党軍の動きが常時監視できるからです。
当然、アメリカは台湾の独立を支援し、台湾と安全保障条約を締結しようとしていると思われます。
もはや、チャイナ共産党は世界から孤立し、滅ぼされる事が予想されます。
それが如何に早く実現できるかで、チベットやウイグルで弾圧や民族浄化を止める事が出来、人々を虐殺から守る事が出来るかも知れません。
国際金融市場デビュー!ゼロからお金を稼ぐアメイジングな仕組みを学ぶ! [私はこうして起業した!40年で総資産5億円超に!]
大手町の英国の金融機関で働き始めると、最初は様々な金融商品を扱うセクションがあり、数日ずつそこで研修を受ける訳ですが、この場は実際にはセクションマネージャー同士の稼げる人材の奪い合で数カ所からオファーが来ました。
結果的に声の大きい金利を扱う部署のマネージャーに引っ張られ、そこは、私を入れても合計で4人しかいない小さなセクションでしたが、驚いた事に僅か4人で1日で平均1千万を稼いでしまうのです。
これまで私が経験した事が無いお金の稼ぎ方で、しかも殆ど電話をしているだけで莫大なお金が稼げてしまうのです。
そんな中でマネージャーから「君は何故採用されたか知っているかね」と聞かれ、「分かりません」と答えざる得ませんでした。
マネージャーは、「この世界は男芸者の世界なんだ」と意味不明な事を言われるので「それはどう言う意味でしょうか」と尋ねると、「我々が取引している商品は金利だ!これはどこも同じなんだ。つまり、気の利いた接待が出来る者が勝つ。その素養が君にはありそうだからトレード(trade)したのだ」と言われました。
更に、君の仕事はこれだと指を指したのは、専用回線の並んだボードで、多数の金融機関と直接通話の出来るボタンが並んでおり、しかもこれまでのディラーが攻略出来なかったり、ラインカットと呼ばれる「電話禁止」措置が取られた取引先ばかりでした。
しかも、市場で活発に動いている大物ディラーがいらっしゃる所ばかりでした。
その多くは、通話の為にボタンを押しても出て下さると事は全く無く、一日中押し続けのが仕事となりました。
また、金利の取り引きですから、例えば0.5%ならそのまま言うと間違えの原因になるのでハーフ(1/2二分の一)と言う様に分数でレートを呼ぶ為に、全ての分数を丸暗記しなければなりません。
しかも世界中と取引しているので会話は全て英語で、私が英語力がないので会社がベルリッツと言うビジネス英会話学校の先生を会社に呼んで夕方から英会話の勉強で、その費用は1時間1万円と高額ですが会社の負担です。
更に、英国人が教えてくれた裁定取引(Arbitrage)が面白く、これは世界の金融市場で度々発生する、金利や為替相場、先物取引によって生じるひずみを利用して同時に取引するとお金が稼げてしまうのです。
工業用のロボットでプログラム方法を知っていたので、プログラム電卓に計算式をプログラムして、金利、為替相場、先物取引の取引価格を入力すると瞬時に、この時点でいくら利ざやが取れるか計算できる様にしました。
一般の人々は為替デイラーは、相場の上がり下がりの差額で稼いでいると思われているかも知れませんが、実際にはそれでは稼いだとしても、単なるゼロサムゲームに過ぎず、稼ぎ続ける事は本当は不可能なのです。
現在ネット上で罫線を利用して株式投資を行い簡単に儲かると宣伝する、いかがわしいソフト等が売られていますが、そんなものでは儲け続ける事は不可能で、相場が大きく動いた時に大損するハズです。
現実には、極めて金融機関は堅実で、金利の高い長期金利で貸し出し、その分の資金を金利の安い短期金利で調達しその金利差で稼いでいたり、金融市場で生じる情報伝達のタイムラグを利用して稼いだりしています。
中でも最も大きいのが、金融取引を仲介する事で得られる手数料なのです。
つまり、莫大な金額の金融取引を行う程手数料は多くなりますので、常に大口の資金の取引を狙い、その頂点へ行くには、生き馬の目を抜くと言われる程激しい競争に晒されますので打たれ強い人間でなければ無理です。
特に、私がやっていた金利の取引は、金額の大きさが最低取引単位が、1ヤード(約10億円)でしかも普通は10ヤード(約100億円)以上で、更に、タームと呼ばれる期間が長い程儲かりますがリスクも大きくなります。
儲かる反面当然リスクも大きく、取引でミスを行えば瞬時に数千万から数億円の巨額の損失になりますので、普通の人では怖くて何も出来なくなってしまうのが普通です。
当然、単なる怖い者知らずの人には任せられませんし、そんな方ほど莫大な損失を出してしまうものです。
やはり求められるのは、正確さと相場観、常に冷静に的確に行動できる事と、相場が動くのは一瞬ですからその時には取引が集中しますので、取引をメモする時間もありませんから、取引を正確に記憶している事が必要です。
最初に私が言われた事は「メモは取るな」で、それは、メモしている時間に相場か変わってしまうので、そんな時間があれば稼げ、電話をして取引を行えと言う意味です。
一般には、マネーゲームと呼ばれますが、国際金融市場のプロは実際にはマネーゲームでは無く、市場と言う場を提供しながら、マネーゲームをしている人や企業から寺銭?手数料をいただいてサービスを提供しているのです。
次回の当ブログでは、ビッグプレーヤー大口顧客を攻略するをお送り致します。
日中国交回復の裏で日本の製造業が危ない!特需に踊らされた中小企業程衰退に! [私はこうして起業した!40年で総資産5億円超に!]
会社を設立して2年後になると大量の注文が来て納期が遅れ始めると、その特需の原因が分かり始めました。
この頃は、上の写真よりも大きい電子基板にICやCPU等をロボットで取付け半田付けする生産ラインの設計などをしていましたが、その納入場所がチャイナと聞いて微妙な違和感を感じました。
当時のチャイナの技術は日本と比べて20年遅れていると言われていましたが、高度な日本の技術が奪われる恐れや、日本の製造業がチャイナ取られるのではないかという不安を感じていました。
それは、取引先の設備会社の社長が大手電機メーカーの工場の仕事が無くなり、自社製品を作る為に製品の設計を依頼して来てこうした状況を知ったからです。
私の会社は、設計会社なので仕入れが無く殆どが人件費と家賃ですから利益率は高いのですが、親会社の製造業はあれだけ苦労して機械を作っても粗利益は2割程度で、しかも人手不足から長時間労働になり易く利益を圧迫している事を感じました。
下町の町工場全体に言える事ですが、普通のサラリーマン家庭なら夜は家族でテレビを見たりして過ごすものですが、町工場の家庭に夜訪問すると夜遅くまで家族全員で部品を組み立てている光景を見てショックでした。
また、大田区の小規模企業では私の母親と同じ位のお歳の方が、射出成型機のプラスチックの金型から製品を外す作業をしており、少しでもタイミングを誤れば手を機会に挟まれて切断してしまう恐れのある機械を深夜に動かしているの見て衝撃を受けました。
これ程仕事をしているのにそこから得られる利益は僅かなもので、今後こうした仕事すら無くなる危険性がある事に皆が気付いていないのは、日々の仕事に追われ世界全体の動きが分からないからだと感じました。
つまり、日本の製造業はチャイナに取られるだろうと言う事が予測され、日本の企業がノウハウまで与えてしまっている状況を見てこの業界は確実に衰退すると感じました。
その頃、私の学生時代の友人と一緒に六本木で遊ぶ事が多く、彼は英語が得意なので外国人の友達を作りながら英語を実戦で訓練していたのです。
これに、私も突き合わされてたのですが、彼の友人に元フランス大使館に勤務され、今は独立して会社を経営していると言うフランス人を紹介されました。
彼の家は六本木の豪邸で、もしかしたら元大使館員は仮の姿で、その華やかな生活から諜報機関の人かと感じる事もありましたが、家で行われるパーティーに友人と呼ばれました。
会場に来ている方は殆どが外国人で、食事をしながら話をし、酒を進め酌み交わす訳です。
そこで知り合った方が英国人の金融機関の方で、私も学生時代の専門が国際金融だった関係で何故か話が弾み、一度大手町の会社に遊びに来るように言われ、名刺を渡されました。
その理由は、彼の会社も人材不足で日本経済がバブルに向かっている頃ですからかなり深刻だと感じました。
私もこの出会いが、チャンスではと感じましたし、国際金融は儲かる事は既に学生時代から知っていました。
翌朝になるとその英国人から電話があり、仕事を手伝って欲しいので履歴書を持って来てほしい言われました。
何故か英語力が無い為にうまく断り切れず、たまたま大手町近くの会社で打ちあわせがあるので、そちらが済んら伺うと言ってしまいました。
行ってみるとそこは大手企業ばかりの清潔なオフィス街で、社内も綺麗で外国人がかなり働いていました。
応接室へ回されると、やはり仕事の話でした。
外国人らしく、先ずは報酬の話から始まり、初年度は年収500万円からだが、君なら努力次第では数千万円稼げると言われました。
しかし、実際には自分の会社の社員の事やスカウトして下さった社長の事を考えると、複雑なものがありましたが、このままでは沈んでしまう仕事よりも、世界を相手に仕事してみたいと思いました。
結果的に、その月の内に会社の仕事は優秀な部下に任せ、出資金は社長に任せ月末付けで退任する事にしました。
その翌月には、大手町の英国の金融機関で働き始めました。
そこには莫大なお金を稼ぎ出す仕組みがありました。
次回に続きます。