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起業のすすめ!私はこうして起業した!社長修行が始まる!クルマ好き講じて技術者に! [私はこうして起業した!40年で総資産5億円超に!]

11Oct2020-1.jpgご覧の車は当時私が乗っていたボルボアマゾン123GTは製造後20年近く経った中古車を自分でレストアしました。(画像が悪いのは当時のビデオカメラで撮影したものを写真にしたからです)


当時の私の生まれた年とこの車の年式がほぼ同じ古い車で、既に部品が少なくもう一台部品取り用の車とセットでカーマニアから買いました。


ボルボは非常に優れた車で、時々故障はしますが、自分でその場で直せる程度ですから、これも楽しいものです。


こうした車好きから機械好きになり、私の人生も変わって行きます。


この頃から私をスカウトしてく下さった社長から、社長修行が始まりました。


最初に叩き込まれたのが、サラリーマン根性を捨てる事で、1年365日、1日24時間全て仕事だと思え、自分の給料は自分で稼ぐだけではダメで、従業員を養えるだけ稼げと言う厳しいものでした。


サラリーマン時代には夕方の5時に家に帰れましたが、独立すると多忙で、明るい時間に家に帰れる事は殆ど無くなりました。


その反面良い事もあり、通勤で満員の電車に乗る事は無くなり、車で通勤になりました。


しかし、毎晩遅い時間に帰る事やお客さんの接待などで深夜になる事から、スカウトしてくれた社長が時間がもったいないとアパートを借りてくれ、会社まで3分ほどで通える様になりました。


そこが、全国的に有名な柳橋の花柳界のど真ん中で、暫くするとそこの住民は私以外女性ばかりで、何故かと言うと柳橋の芸者さんばかりである事に気付きました。


この時期の柳橋は、日本列島改造で知られる田中角栄総理大臣の時ですから、田中総理がよく柳橋の高級料亭稲垣にいらしていて、その時には、付近の道路に黒塗りの車が70台も並んでいました。


社長は、芸者遊びが大好きな方で、夕方になると得意先の接待だと言って車で迎えに来ましたので、接待でお客さんと仲良くなり仕事を貰える関係を作る方法を学びました。


また、仕事が貰える背景には、技術力が重要で、本格的な機械の設計が出来る人材が余り居ない事を知りました。


それは、設計経験者を募集して採用しても、結果的に設計出来ない方が多く、こうした人材不足から結果的に大企業から仕事を任せられている事がわりました。


また、設計した図面を現場の工場で作って貰うのですが、スーツで行かずに作業服で行き、現場の職人さん達と一緒に仕事をする事で、急ぎの仕事など心よくやって貰える関係作りも大切である事も学びました。


また、この社長から銀行の使い方を徹底的に仕込まれ、近くの銀行から常時お金を積立、ある程度溜まると借り入れをして実績を作りながら、別の銀行にも積み立てをして、借入をする事で運転資金を確保する事の重要性を学びました。


当時は、支払いが手形と言うのが多く、実際に支払われるまでに数カ月かかり、売り上げが上がる程お金が寝てしまうので、どうしても運転資金を調達する必要があるからです。


こうしている内に我が国はバブル経済へと向かい、異常に忙しくなり始め、集金に行くと多いい時には手形や小切手の合計が額が3億円にもなっいました。


この為、忙し過ぎて寝る時間が無く睡眠時間が3時間程度しか取れなくなります。


ここでまた人生に悩むのですが、思わぬ事から、人生の転機を迎えます。


次回に続きます。

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