日中国交回復の裏で日本の製造業が危ない!特需に踊らされた中小企業程衰退に! [私はこうして起業した!40年で総資産5億円超に!]
会社を設立して2年後になると大量の注文が来て納期が遅れ始めると、その特需の原因が分かり始めました。
この頃は、上の写真よりも大きい電子基板にICやCPU等をロボットで取付け半田付けする生産ラインの設計などをしていましたが、その納入場所がチャイナと聞いて微妙な違和感を感じました。
当時のチャイナの技術は日本と比べて20年遅れていると言われていましたが、高度な日本の技術が奪われる恐れや、日本の製造業がチャイナ取られるのではないかという不安を感じていました。
それは、取引先の設備会社の社長が大手電機メーカーの工場の仕事が無くなり、自社製品を作る為に製品の設計を依頼して来てこうした状況を知ったからです。
私の会社は、設計会社なので仕入れが無く殆どが人件費と家賃ですから利益率は高いのですが、親会社の製造業はあれだけ苦労して機械を作っても粗利益は2割程度で、しかも人手不足から長時間労働になり易く利益を圧迫している事を感じました。
下町の町工場全体に言える事ですが、普通のサラリーマン家庭なら夜は家族でテレビを見たりして過ごすものですが、町工場の家庭に夜訪問すると夜遅くまで家族全員で部品を組み立てている光景を見てショックでした。
また、大田区の小規模企業では私の母親と同じ位のお歳の方が、射出成型機のプラスチックの金型から製品を外す作業をしており、少しでもタイミングを誤れば手を機会に挟まれて切断してしまう恐れのある機械を深夜に動かしているの見て衝撃を受けました。
これ程仕事をしているのにそこから得られる利益は僅かなもので、今後こうした仕事すら無くなる危険性がある事に皆が気付いていないのは、日々の仕事に追われ世界全体の動きが分からないからだと感じました。
つまり、日本の製造業はチャイナに取られるだろうと言う事が予測され、日本の企業がノウハウまで与えてしまっている状況を見てこの業界は確実に衰退すると感じました。
その頃、私の学生時代の友人と一緒に六本木で遊ぶ事が多く、彼は英語が得意なので外国人の友達を作りながら英語を実戦で訓練していたのです。
これに、私も突き合わされてたのですが、彼の友人に元フランス大使館に勤務され、今は独立して会社を経営していると言うフランス人を紹介されました。
彼の家は六本木の豪邸で、もしかしたら元大使館員は仮の姿で、その華やかな生活から諜報機関の人かと感じる事もありましたが、家で行われるパーティーに友人と呼ばれました。
会場に来ている方は殆どが外国人で、食事をしながら話をし、酒を進め酌み交わす訳です。
そこで知り合った方が英国人の金融機関の方で、私も学生時代の専門が国際金融だった関係で何故か話が弾み、一度大手町の会社に遊びに来るように言われ、名刺を渡されました。
その理由は、彼の会社も人材不足で日本経済がバブルに向かっている頃ですからかなり深刻だと感じました。
私もこの出会いが、チャンスではと感じましたし、国際金融は儲かる事は既に学生時代から知っていました。
翌朝になるとその英国人から電話があり、仕事を手伝って欲しいので履歴書を持って来てほしい言われました。
何故か英語力が無い為にうまく断り切れず、たまたま大手町近くの会社で打ちあわせがあるので、そちらが済んら伺うと言ってしまいました。
行ってみるとそこは大手企業ばかりの清潔なオフィス街で、社内も綺麗で外国人がかなり働いていました。
応接室へ回されると、やはり仕事の話でした。
外国人らしく、先ずは報酬の話から始まり、初年度は年収500万円からだが、君なら努力次第では数千万円稼げると言われました。
しかし、実際には自分の会社の社員の事やスカウトして下さった社長の事を考えると、複雑なものがありましたが、このままでは沈んでしまう仕事よりも、世界を相手に仕事してみたいと思いました。
結果的に、その月の内に会社の仕事は優秀な部下に任せ、出資金は社長に任せ月末付けで退任する事にしました。
その翌月には、大手町の英国の金融機関で働き始めました。
そこには莫大なお金を稼ぎ出す仕組みがありました。
次回に続きます。