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第4話 聖徳太子日本仏教の基礎を築き大陸の優れた技術や制度を取入れた!その2 [世界の偉人の波乱万丈の人生を学ぶ]

05May2019 令和.jpg

ご覧の人物は聖徳太子の父親で12歳の時に天皇に即位し用明天皇となりますが、即位後2年で病死してしまい享年41歳でした。


この時14歳だった聖徳太子は、父の用明天皇が仏教に帰依したことで豪族間の対立が激しくなっている状況に巻き込まれ、仏教に反対する物部氏が仏教を大切にしていた蘇我氏へ軍勢を率いて攻め込んできました。


これに伴い聖徳太子は、初出陣を行いますが、兵力も武器も劣勢な物部守屋が弓矢で聖徳太子狙う為に自ら木に登り狙いますが、逆に弓で射貫かれ戦死しました。


これにより大将を失った物部氏は全軍が総崩れになり、聖徳太子は初陣を飾り、物部氏は滅亡します。


用明天皇の崩御に共ない用明天皇の弟である崇峻天皇が即位し、蘇我氏は百済から僧侶や技術者を招き、日本初本格的な寺院飛鳥寺(法興寺)を建立し、仏教興隆を推進します。


その後、崇峻天皇に次いで用明天皇の妹の推古天皇が即位し、当時20歳となった聖徳太子は叔母に当たる推古天皇の摂政となります。


聖徳太子21歳になると「三宝興隆の詔」が出され、豪族たちは一族繁栄の祈願をする為に氏寺をつくり始め、多くの僧侶が迎えられて、法事が営まれるようになり、これを氏仏教と言います。


聖徳太子が32歳になると、日本初の憲法である「十七条憲法」を制定しました。


第一条 人と争わずに和を大切にしなさい


第二条 三宝を深く尊敬し、尊び、礼をつくしなさい(三宝:釈迦、その教え、僧)


第三条 天皇の命令は反発せずにかしこまって聞きなさい


第四条 役人達はつねに礼儀ただしくありなさい


第五条 道にはずれた心を捨てて、公平な態度で裁きを行いなさい


第六条 悪い事はこらしめ、良いことはどんどんしなさい


第七条 仕事はその役目に合った人にさせなさい


第八条 役人はサボることなく早朝から夜遅くまで一生懸命働きなさい


第九条 お互いを疑うことなく信じ合いなさい


第十条 他人と意見が異なっても腹を立てないようにしなさい


第十一条 優れた働きや成果、または過ちを明確にして、必ず賞罰を与えなさい


第十二条 役人は勝手に民衆から税をとってはいけない


第十三条 役人は自分だけではなく、他の役人の仕事も知っておきなさい


第十四条 役人は嫉妬の心をお互いにもってはいけない


第十五条 国のことを大事に思い、私利私欲に走ってはいけない


第十六条 民衆を使うときは、その時期を見計らって使いなさい


第十七条 大事なことは一人で決めずに、必ず皆と相談しなさい


この十七条の憲法をご覧になれば現在にも通じる人としての本質を見極めた正しい方に導く本質が書かれているのではないでしょうか。


最大の問題が我が国の教科書からこの聖徳太子が消される危機にあるのです。


これも、我が国を弱体化させ滅亡させる外国からの指示で日本政府や特に自民党が歴史的にGHQの占領政策でCIAが作った事が米機密文書の60年を経て公開された文書で明らかにされていますの思惑通りに動かされているのかも知れません。


この事は本来我が国の国民と文化を守り次世代に継承させるのが仕事の筈の文部科学省の官僚がアメリカ等の国際金融資本家のマインドコントロールされてしまい、逆に我が国を弱体化させる為に動いている様です。


聖徳太子の存在した歴史の事実は、物部氏を滅ぼし、十七条の憲法を制定し、法隆寺など歴史的建造物を多数残し現在でも存在するのにそれが現在のおかしな教科書検定では教科書から消える可能性が高いのです。


驚いた事に最近の学者の中には「聖徳太子はいなかった」という説で、研究者の大山誠一氏が「推古天皇の時代に厩戸という皇子はいたが、有力な皇子の一人に過ぎず、政治を主導したわけでもないし、聖徳太子の名で呼ばれたこともない。太子の業績は『日本書紀』で創作だ」といった研究成果を発表する始末です。


更に驚いた事に、この説は学界で定着しはじめ、その結果、一部の教科書には「推古天皇が新たに即位し、国際的緊張のもとで蘇我馬子や推古天皇の甥の厩戸王(聖徳太子)らが協力して国家組織の形成を進めた。603年には冠位十二階、翌604年には憲法十七条が定められた」(2012年検定済『詳説日本史B』山川出版社)と書かれました。


学者とか研究者が如何にいい加減なものかは、実際に付き合ってみると分かるのですが、権威だけをふりかざしながら結果的には金の為なら何でもやる、水掛論に巻き込まれたくないので疑問に思っても何も言わない輩が多いのです。


こんな人達に我が国の歴史が書き換えられない様に監視する必要がござますし、聖徳太子の存在は我が国の国体に関わる大切な問題ですので、これ以上我が国を弱体化させない為には我々が正しく歴史を学ぶしかありません。


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第3話 聖徳太子日本仏教の基礎を築き大陸の優れた技術や制度を取入れた!その1 [世界の偉人の波乱万丈の人生を学ぶ]

04May2019 令和.jpg今回ご紹介しますのは聖徳太子ですが、この聖徳太子が歴史上から抹消させられ恐れがあり、文部化科学省は戦後の占領政策から歴史を変えてしまう方向に動いています。


つまり、日本と言う国家観を崩壊させる為に、一部の学者の論理を採用し反国家主義へ誘導を始めています。


この背後には、新世界秩序とかグローバル化を推進させ世界統一政府を作ろうとする国際金融資本家の思惑通りに日本の国民を洗脳しコントロールし易い様に誘導する意図が隠されています。


これは現在のアメリカを正確に知れば見えて来るもので、その末路はアメリカの超格差社会で富の6割が5%の大富豪に集中し、その反対に国民の3割が貧困家庭と言う現実があり、我が国も時間の問題でこうなる事は避けられそうもありません。

その理由は、選挙で自民党の支持率が高くなると次々にアメリカからの外圧で押され我が国に不利な事が決められて来たからです。


この背景には戦後60年を経てアメリカの機密資料が情報公開されますと、GHQの統制下の日本で日本が共産化する恐れがあり、アメリカのCIAが対日工作として自民党を作った事が明らかにされました。


裏を返せば未だにアメリカの都合の良く日本を支配させる為に自民党が利用されている事を、物事を正しく判断する為には知っておく必要があります。


1985年のプラザ合意では1ドル240円が合意後には120円になり車1台200万円で輸出出来たものが為替の関係で100万円にしかならず、日本の製造業は海外に移転せねばならず急速に製造業が衰退し下町から工場が消えました。


2018年には、裏でアメリカが支配するマスメディアより作られた劇場型政治小泉劇場では、労働者派遣法の改正で13年間連続自殺者が毎年3万人を超え合計では第1次世界大戦の戦死者を超える45万人が自殺に追込まれました。


ブッシュの圧力での郵政民営化し、郵便貯金で国債を買う事が出来なくなり結果的に膨大な国民の富がアメリカの国債や株に投資され、その結果マイナス金利の導入で国民の富が日本からアメリカに投資された結果長期デフレ経済から抜け出せなくなっています。


話は元に戻りますが、文部科学省の教科書の改訂もアメリカ等の国際金融資本家の思惑で動かされている事を知る必要があります。


つまり、日本政府の高級官僚もアメリカ等の国際金融資本家の思い通りに動く様に洗脳されているのです。


その理由は、高級官僚は国費でアメリカの超一流大学に留学させる制度があるためです。


これは、聖徳太子が600年に隋に遣隋使を送ったのと全く違っています。


聖徳太子は574年2月7日、母が馬小屋の前を歩いていらした際に急に産気づかれて生まれられたため、聖徳太子を「厩戸皇子(うまやとのおうじ)」といわれます。


これを最近の学者と言われる人が正式名称を厩戸皇子としようとする根拠の様ですが、1500年も前から我が国の国民の間で伝えられて来た聖徳太子の方が正しく無ければ日本の歴史は全て得体の知れない学者の論理で書換えられてしまいます。


抱かれた聖徳太子が2歳のとき、丁度お釈迦さまがお亡くなりになった2月15日に「南無仏」と2回称えて、合掌し、周り中の多くの人々が、唖然としたエピソードがあります。


大変聡明な子で、7歳になると百済から数百巻のお経やその注釈が届き仏教の勉強では漢文で書かれ理解するのも困難な筈の経を1日1~2巻を読破したそうです。


聖徳太子が11歳のとき、頃伝染病が流行し多数の死者が出ると、仏教を快く思っていなかった豪族の物部氏は、 「この伝染病の流行は、蘇我氏が外国の神である仏教を興隆した祟りである」と朝廷に抗議し、天皇は仏教を止めさせようとします。


これに乗じた物部氏は、寺院へ攻め込んで焼き払い、仏像を海に捨てた上に、さらに蘇我氏のもとへ攻め込みます。


それを知った聖徳太子は、物部氏を出頭させ、天皇のお言葉をたてに、自分のやりたいことをやるのは、臣下の道に背くことだからただちに改めよ」と注意し狼藉を戒めました。


長くなりますので明日の当ブログに続きます。

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第2話 日本の銀行の祖!安田善次郎翁!その2 [世界の偉人の波乱万丈の人生を学ぶ]

03May2019 令和.jpgご覧の写真は安田善次郎翁が当時の東京市に寄付した墨田区横網にある旧安田庭園です。


昨日に引き続き、安田善次郎翁は新政府の紙幣と言うか現在の国債に当たる太政官札の買取で巨利を得て両替商となり次に目指したものは巨額の金額が動き、この当時は利息を付与せずに預かるだけの公金の取り扱いでした。


しかし、こうした利益の多い分野は三井、小野、島田といった有力な両替商が独占、そこへ新興の安田商店が割って入ることは困難でした。


そこで安田は、公的機関にとって最大のリスクは、預金先の金融機関が倒産してしまうことである事に気付き、安田商店はリスクヘッジの為に自社の保有する公債を担保として差し入れます。

つまり公的機関の発行する公債を担保に差出すのですから官僚は公金を安田に預け、その公金でまた公債を買い、それを担保としてまたさらに公金が集まるという所謂信用創造が行われ善次郎は更に巨額の利益を得るのです。

これにより富士銀行、第一勧業銀行は公金を扱う銀行という地位を築きます。

同時に政府から頼まれて経営不振の銀行を買取りを行い全国的に支店網を増やして行きます。

大蔵卿の松方正義は日本銀行の設立に当たり、渋沢栄一と安田善次郎を頼り政府は当初、欧米の中央銀行制度をそのまま導入しようとしますが、彼らは日本の風土に合ったものにしないと円滑な運営は望めないと主張します。

結局、松方はその意見を取り入れ、ベルギー中央銀行の組織を範としながらも、両替商の伝統の良い部分を引き継ぐ折衷方式で明治15年(1882年)10月10日日本銀行を設立します。

これ程の偉業を果たし近代日本の経済的発展に寄与した善次郎ですが、資本主義の進展に伴う都市部への人口流入と地方の疲弊と貧富の格差拡大が社会問題化して行き庶民の怒りの矛先は富める者へと向かって行きます。

大正10年(1921年)の春、83歳になっていた善次郎は「人は養生しだいで優に百歳以上に達し得るべきもので、私はこれから若返って、ますます事業を発展せしむる志である」と社員に訓示します。

しかし、同年9月28日、朝日平吾という国粋主義者の手で、これまでの社会への貢献も、その素顔も知られないまま民衆の敵として暗殺されてしまいます。

この格差社会は現在の我が国の状況と似て居るのではないでしょうか。

才能豊かな優秀な人物が民衆の敵として殺されてしまう背景には、民衆は目先の事しか見えず、物事の本質や現在の資本主義経済を理解出来ず、彼がどれ程社会貢献したかも知らない無知が起こした罪かも知れません。


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第1話 日本の銀行の祖!安田善次郎翁!その1 [世界の偉人の波乱万丈の人生を学ぶ]

02May2019 令和.jpg安田善次郎翁は、富山藩の下級武士の安田善悦の子として天保9年(1838年)10月9日生まれ、幼名は岩次郎と呼ばれ幼年期の生活は貧困そのもので朝から晩まで働き勤勉な生活をしていました。


人生の転機はある小雪の降る夕暮れに富山藩の上級武士とすれ違う為に下駄を脱いで土下座をして上司が通り過ぎのを見守っている時に「何で生まれた時の身分が違うだけで頭を下げ続けなければならないのか」と言う疑問を感じます。


その数年後籠に乗った大阪商人が富山藩の勘定奉行から接待されている光景を見て驚くと共にその大阪商人が富山藩にお金を貸している事を知ります。


生涯変わらないと思われていた身分の差が、お金があれば埋められまた逆転する事を感じ取ります。


ここから人生の目標を立て、先ず千両(現在の貨幣価値で約1億円)を稼ぎ出す目標と決意します。


その決意を持ちながら1858年(安政5年)家出をして江戸に出て奉公人として働きます。


最初は玩具屋に、ついで鰹節屋兼両替商に勤めました。


その後、25歳で独立し、乾物と両替を商う安田商店を開業します。


そこへ明治維新と言う激動の時代がやって来て、その激動を飛躍のチャンスに変えてしまいます。


それは新政府は財政難から新政府紙幣を発行しますが、そもそも信用の裏付けの無い紙幣など買う人はいません。


つまり新政府は財政難を解消する為に紙幣を刷りその紙幣を買取って貰う事で財源を確保しょうとしていましたが、新政府の紙幣を買うものは僅かで値下がりしていました。


安田善次郎はこの紙幣に目を付けます、値下がった紙幣を買えば新政府に貸しを作る事が出来る事、政権が安定すればこの紙幣の価値は恐らく値上がり今買えば価値が上がると読み買増しを続けます。


その目論見通り新政府の紙幣は値上がりし善次郎は投資額の4倍という莫大な利益を得、目標の千両超えを達成し、更に明治政府からの信頼を得る事となり、銀行業務を委託されます。


これが、安田銀行(後の富士銀行、第一勧業銀行、安田信託銀行など(現在のみずほフィナンシャルグループ)を設立し、その後には損保会社(現在の損害保険ジャパン)、生保会社(現在の明治安田生命保険)、東京建物等を次々と設立して行きます。


長くなりますので続きのその2をご覧ください。


当ブログでは世界の偉人の波乱万丈の人生を学び、これからを生き抜く若い世代の皆さんが事業を成功させ、我が国を繁栄に導いていただけるよう連載して参ります。

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