大塚家具久美子社長が退任!5年で財産100億円が22億円に!才能無きお嬢様の末路! [ニュース]
ご覧の株価チャートは、IDC大塚家具の株価の過去5年間の推移です、大塚久美子社長が就任したてから、5年間で約100億円あった財産が22億円まで減ってしまったと報じられていますが、いったい何処に問題があったのでしょうか。
久美子社長は、一橋大学経済学部と筑波大学法科大学院を卒業され学業成績は良い事が伺われます、卒業後は冨士銀行の総合職で入行され融資課に勤務した華々しい経歴の持ち主です。
その後の経歴を追ってみますと1994年大塚家具に入社。
1996年から取締役
2004年大塚家具取締役を退任し、1年間の休養。
2005年東京都千代田区に広報・IRコンサルティング会社、株式会社クオリア・コンサルティングを設立し、代表取締役に就任。
同時に、フロンティア・マネジメント株式会社の執行役員や、大塚家の資産管理会社である株式会社ききょう企画代表取締役、社団法人如水会理事などを兼任します。
2009年創業40周年を機に、大塚家具代表取締役社長に就任。
2010年から2012年まで国立大学法人一橋大学経営協議会学外委員。
2014年7月23日、取締役会で社長を僅か3年で解任されます。
2015年1月、大塚久美子が、勝久社長兼会長に経営体制を一新するよう株主提案を検討していることが明らかとなり、同28日、大塚家具は大塚久美子の社長復帰し、勝久を会長専任とする人事を発表し、お家騒動が始まります。
2020年 同社長・営業本部長 辞任。
この経歴は一見華々しい様に見えますが、大塚家具の知名度に支えられて来た人生であった事が伺われます。
分かり易く言うと周りからおだてられ甘やかされた人生と言えそうで、実力以上に評価され過ぎた感が否めません。
本当に頭の良い女性なら、結婚をして良き伴侶と支え合いながらしかるべき地位を狙うものです。
また、既婚と独身では人は全く世界観や見えて来るものが違って来ますので家族を持つ部下の気持ちや、子どもに対する愛情などが芽生えて来ますので人間的大きさが全く違って来るものです。
この世には数えきれない程の男女がいるのに、パートナーと巡り合えないとか、せっかくめぐり逢っても破局してしまう、これを繰り返す背景には何か足らないものがあるではないでしょうか。
この競争の激しい資本主義社会では、事業を成功させる事は大変難しい事は言うまでもありませんが、経営者の判断が誤りであった事を示しています。
父親の勝久氏の経営の失敗は高級志向で富裕層をターゲットにしていた為に、大規模小売店舗法改正で客層を広げようとした為に、本来少ない客層が広がらなかったのではないでしょうか。
その後は、これを反省し巧大塚にして再び富裕層の取り込みに成功し業容が安定してきています。
これに対し、娘の久美子氏は、低価格大衆路線にしてしまい、海外から安物を輸入してうる大手量販店と競争してしまいました。
この戦略で一番苦労されたのが、これまで同社を支えて来た家具職人さんだったハズです。
つまり、久美子氏は日本のモノ作りの魂を知らないか理解できていない為に、どれ程日本の職人さんが卓越した技で製品を作ってもその価値が理解出来ず、安易な安ければ売れるだろう戦略に走ってしまいました。
当然、競合他社は、人件費が安い上に為替相場も激安の国で作らせますので、利ざや多い上に国内に持ち込めば安く販売しても利益が確保できます。
久美子氏は、これと競合させてしまったので、下請けの職人さんは採算の取れない仕事を押付けられ廃業か転業してしまうしか方法が無く離れてしまい、その代わりにチャイナから輸入へと向かうのですが、品質管理が杜撰で結果的に客離れが始まります。
お客は、IDC大塚家具に行っても良い家具が無い事から行かなくなり、また、インバウンドを当て込んで出店した銀座では、中共ウイルスの感染拡大で外国人が国内に入って来れず、高額な家賃がのしかかりました。
久美子氏の最大の問題は、学業成績は良くても、ビジネスの世界での才能に欠けている点で、本当に才能ある人物なら既に若い頃からお金を稼ぐ才能が発揮されていたはずです。
才能ある人は、多くの人が価格競争に向かうなら、全く逆の戦術で薄利よりも高利を追及するものです。
その点では、世界的に才能がある人々は世界的な高級ブランド創り出す人々で、彼らは絶対安売り競争はしません。
その強さの背景には、才能が生み出したデザイン、才能が生み出した機能、才能が生み出した技術、才能が生み出す宣伝、才能豊かなモデルさんなどのタレントの集合体の強みがバランスよく配置されています。