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起業のすすめ!私はこうして起業した!取引先の会社の社長からスカウトされ社長に! [私はこうして起業した!40年で総資産5億円超に!]

08Oct2020-3.jpg私が起業して最初の大仕事が写真右側の部分の関西電力敦賀原子力発電所2号機の機械部分の設計でした。


これからの社会は、大企業に就職して安定した収入を得て出世して行くと言う縦型社会が崩壊しているので、横型社会に変わる事が予想されます。


そこで、今の若い世代の皆さんに起業のすすめを連載で書いてみようと思いました。


実は、私は幼年時代から起業をしたいと言う願望があり、最初の起業は小学校2年生位の時に、友人と不法投棄されていたゴミの中に大量のコーラの瓶が捨てられているのを発見し、これをお店に持って行くと1本10円で買って貰えました。


これを友人と自転車のかごに入れて、公園の水道で瓶を洗いお店に持って行くと、1日で300円位稼げました。


もしかするこれが人生一番最初の起業かも知れません。


本格的な起業は、大学を卒業して機械が大好きでしたので機械の専門商社に就職すると機械を動かす為の制御機器を扱う分野に回され、殆ど会社にいな状態でメーカーに派遣され機器の構造や選定の方法、設計を学び資格を取って会社に戻るとまた別のメーカーで同様に資格を取るの繰り返しでした。


それらの修業が終わると会社に戻ると先輩の社員とOJT(( On the Job Training)研修プログラムの一環として意図的・計画的・継続的に行われる社員の教育・訓練法)て取引先の工場の機械が故障している現場に行き故障の原因と修理方法を考えて修理に必要な手配をするものでした。


そんな仕事をしている内に機械の修理は勿論、設計まで任される様になると、取り引き先の社長からスカウトのオファーが来ました。


今居る会社では大切にしてもらっているの裏切るつもりはないと断り続けていると、その社長から土日だけで良いから内の会社の仕事を手伝って欲しいと言われました。


その仕事は、新製品の開発で社長の要望するものを設計する仕事でした。


1ヶ月ほどすると、社長から今月の給料だと封筒を渡されました。


後で中を開けてみると今の会社の月給の2倍の金額が入っており、週2日間合計8日程度しか働いていないので貰いすぎだと返しに行くと、どうしても内の会社で働いて欲しいと言われましたが、お断りしました。


すると、「君の夢は何だね」と聞かれ、咄嗟に「社長になりたい」と言うと、社長は「よし、分かった、俺が社長にしてやる」と言われました。


その後これは実現し、子会社の社長に20代前半でなりましたが、社長業も会社の経営も分からず動きだし、双方が150万円づつ出資して資本金300万円の会社を作りました。


会社は、浅草橋駅から徒歩5分程のビルの1階で、その社長から会社の経営を徹底的に仕込まれました。


08Oct2020-2.jpg当時私がつくば研究学園都市の研究機関からの依頼で設計した、超電導合金を合成する為の高圧レーザー照射用の真空高圧チャンパーで、こうした実績が評価され、宇宙衛星内部のジャイロスコープの筐体の設計などの仕事が入って来ました。


設計会社を立ち上げ社員を採用し設計の仕事を始めると、設計の出来る社員など中々採用出来ず図面をトレースするだけの社員しかおらず、結果的に設計は私が行いそれをトレースしてもらう訳です。


3名もいるので、私が概要図や構造図を書かないと遊んでしまうので大変でしたし、人には能力があり、いくら構造を説明しても理解できない方もいて、現実の厳しさを感じました。


そうこうしている内に、取引先の大企業から仕事の依頼があり行ってみると、上の写真の敦賀原発の機械の設計でした。


この仕事も取引先の設計士は、東京大学卒の優秀な技術者で大変厳しい方でしたが、何故か気に入られほぼ毎日の様に呼ばれ、そこで、概要図や構造図を描き夕方に会社に帰ると社員に図面の指示をします。


暫くすると、お客さんの接待があると、ほぼ毎日の様に社長が車で迎えに来て、お客さんを料亭などで接待し、その後は別の店で酒を飲む事になりますので、深夜まで仕事の激務でした。


実は、こうした事が後の人生で大きなチャンスを掴む結果になりました。


次に続きます。

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