知って欲しい反日教科書!大化の改新!中大兄皇子・中臣鎌足・曽我入鹿 [墨田区教育委員会採択の歴史教科書は自虐史観]

③は京極天皇(中大兄皇子の母)は皇子にひれ伏して事の次第を述べました。
④弓と剣を持つ人物は中臣鎌足(なかとみのかまたり)です。
中大兄皇子と中臣鎌足が曽我氏を滅亡させた背景には、渡来系の氏族と深い関係にあった蘇我氏は渡来人の先進技術を利用して台頭し蘇我氏は三代にわたって権力を欲しいがままにしたとされています。
さて、これについて極左の学び舎の「ともに学ぶ人間の歴史」の39ページには、「645年、飛鳥の宮殿では朝鮮3国からの使者を迎える儀式が行われました。」
「その最中に中大兄皇子達が蘇我入鹿を殺害する事件が起きました。」
「事件の翌年、大化の改新と呼ばれる政治改革の方針を示しましたが、すぐに実行するには至りませんでした。」
これだけの記述では何が起きたのその原因についてもその結果についても何も書かれていません。
これに対して、自由社の「新しい歴史教科書」には次の様に書かれています。
「645年、中大兄皇子は中臣鎌足(後の藤原鎌足)らと共に蘇我蝦夷、入鹿親子を倒して蘇我氏を滅ぼし、新しい政治の仕組みを作る改革を始めた。」
ポイント!新しい政治の仕組みを作る改革、これまで皇族や豪族が私有していた土地と民を国家が直接統治する改革を始めました。
「朝廷は日本で最初の年号を立てて、大化元年とした。」
「東アジアで中国が定めたものとは異なる独自の年号を制定して使い続けたのは、日本だけであった。」
ポイント!この独自の年号を世界で最初に制定して現在「平成」も使用続けているのは、日本だけです。
「翌年には、これまで皇族や豪族が私有していた土地と民を国家が直接統治する公地公民の方針を打ち出した。」
ポイント!新しい政治の仕組みを作る改革が行われ、曽我氏により権力を欲しいがままにした政治の仕組みを変えるクーデターが起された点です。
日本人なら年号が何時作られたかや、世界中で日本だけが最初制定し現在も使われている事を説明できる必要があるのでないだしょうか。
知って欲しい反日教科書の実態!聖徳太子の記述から読める国を滅ぼす反日教科書! [墨田区教育委員会採択の歴史教科書は自虐史観]

最初に、我が国を滅ぼそうとしている手先と思われる新世界秩序系の学び舎の「ともに学ぶ人間の歴史」の記述をご覧ください。
厩戸皇子(うまやどのおうじ、後に聖徳太子と呼ばれる)は、高句麗(コグリョ)から渡来した僧から熱心に仏教を学んで、ブッダの教えを書いた経典を読み解き、人々にそれを伝えました。
*十七条憲法については、初めの3条のみしか記載していません。
先ず何処の国の教科書なのか感じる点は、「高句麗(コグリョ)」の部分で単に「高句麗」と書けば良いのに括弧書きでどこの国の言葉か分からない「(コグリョ)」と書かれており、これは国際的なルールでは自国の読み方をすべきです。
厩戸皇子と言う名称も最近出て来た呼称で私が学校で学んだのは聖徳太子でしたが、こうした呼称すらすり替えられています。
全体の記述も「高句麗から渡来した僧から熱心に仏教を学んで、ブッダの教えを書いた経典を読み解き、人々にそれを伝えました」としか書いておらず、まるで高句麗から渡来した僧の受売りをしているかの様な記載で肝心な事は何も書かれいません。
これに対して自由社の「新しい歴史教科書」にはどの様な記載があるのかご覧ください。
6世紀の末、589年、隋が中国全土を約300年ぶりに統一し、百済、高句麗、新羅は隋に冊封され、日本もこれに如何に対処するか、態度を迫られた。
この頃皇族の一人で若くして聡明な聖徳太子(厩戸皇子)が、初めての女帝である推古天皇の摂政となり、冠位十二階と十七条憲法を制定し、日本の国としての基礎を形作った。

十七条の憲法には、現代に続く日本人の基本的な考え方が書かれている。
1.和を貴び、人にさからいそむくことのないように心がけよ。
2.篤く三宝を敬え。三宝とは、仏と、法(仏教の教え)と、僧(教えを説く僧侶)である。
3.天皇の詔を受けたら、謹んでこれに従え。
4.役人は、人の守るべき道をすべての根本とせよ。
5.裁判は公平に行え。
6.悪を懲らしめ、善を進めよ。
7.人は各自の任務を果たせ。
8.役人は、早く出勤し、遅く帰ること。
9.全ての事に嘘偽の無い、まごころをもって当たれ。
10.人の過失を怒ってはならない。
11.功績には賞を、罪には罰を正しく与えよ。
12.地方官は民から税をむさぼり取ってはならない。
13.役人は自分の職務の内容を理解せよ。
14.他人に嫉妬の心を持つな。
15.私心を捨てて、公の立場に立のが、君主に仕える者のつとめだ。
16.民を労役に使うときは、農業の暇なときにせよ。
17.大切な事は独りで決めずに皆とよ議論をして決めよ。
ご覧の様に聖徳太子の十七条の憲法は、現在の日本人の勤勉さの礎を作り、人としての道を作り和を持って事に当たる事や役人の使命と心構えを説いています。
これは現在にも通じる人として基本的な事ではではないでしょうか。
教科書採択の時期です!歴史教科書問題特集!学び社の反日教科書の実態 第7話 [墨田区教育委員会採択の歴史教科書は自虐史観]

特に区立中学校の道徳の教科用図書は皆さんの関心が高い様で一般傍聴席が40席用意されていましたが30席が埋まっていました。
各教育委員からは2社づつ1押しと2番押しの推薦図書が出され、集計されてた上に採決される流れで決まりました。
平成31年度使用区立中学校「特別の教科 道徳」教科用図書には、東京書籍株式会社の教科書が採択されました。
平成31年度使用 墨田区立小学校教科用図書に採択されたものは次の通りです。
教科名 平成31年度使用する教科書の発行者
国 語 教育出版株式会社
書 写 光村図書出版株式会社
社 会 教育出版株式会社
地 図 東京書籍株式会社
算 数 日本文教出版株式会社
理 科 教育出版株式会社
生 活 学校図書株式会社
音 楽 株式会社教育芸術社
図胃工作 閧隆堂出版株式会社
家 庭 開隆堂出版株式会社
保 健 株式会社学研教育みらい
以上が2日に採択されたものです。
教科書採択の時期です!歴史教科書問題特集!学び社の反日教科書の実態 第6話 [墨田区教育委員会採択の歴史教科書は自虐史観]

上の地図に示されたものは仏教の発祥の地からどの様にして伝搬され我が国に至ったのかを示すもので、我が国への北側のルートでもたらされた事が分かります。
逆に南側は多神教のヒンドゥー教結びついて同教の神の一つとして伝搬された事が分かります。
我が国へは、6世紀頃にチャイナ経由と朝鮮経由の二つのルートで入っている事が示されています。
さて双方の教科書にはどう書かれているのでしょうか。
先ず、自由社の「新しい歴史教科書」50~51ページ
6世紀の前半、当時の百済は、高句麗、新羅に攻め込まれて存亡の危機にあった。
百済は再三に亘り日本に軍事援助を求めた。
百済の聖明王は日本との同盟を強固なものにする決め手として、552年に金銅の仏像と経典を大和朝廷に献上した。(仏教伝来)
東アジアの混乱を逃れて、多くの難民が一族や集団で日本に移り住み、金属器の加工、土木建築などの技術や漢字による朝廷の文書の作成にも力を発揮した。
学び舎の「ともに学ぶ人間の歴史」38ページ
仏教は6世紀の前半に朝鮮半島の百済(ペクチエ)から伝えられました。
倭国で最初の仏教の指導者は女性で、3人の少女が高句麗(コグリョ)から渡来した僧に学び、さらに百済(ペクチエ)に留学し、帰国してから仏教の教えを人々に広めました。
この部分を解説しますと自由社の教科書には、仏教伝来の背景についてきちんと書かれていますが、学び舎の教科書には前半に朝鮮半島の百済から伝えられましたと単に書かれているに過ぎません。
更に驚いた事に「倭国で最初の仏教の指導者は女性で、3人の少女が高句麗(コグリョ)から渡来した僧に学び、さらに百済(ペクチエ)に留学し、帰国してから仏教の教えを人々に広めました。」と断言している点で他の様々な文献を見てもこの様な記載が無いのは何故でしょうか。
詳しい事をお知りの方がいらっしゃいましたらお知らせください。
上の地図で示した通り、仏教は朝鮮半島ルートだけでは無く、チャイナから海を渡るルートでも入っている事には一切触れていません。
この事は、朝鮮半島の現在の韓国に配慮した書き方と言わざる得ませんし、百済(ペクチエ)、高句麗(コグリョ)と括弧書きで韓国語読みさせている事からも韓国への斟酌が感じられる表現です。
国際的には、外国の地名や人物名はその国の呼び方でするのが公式ですが、日本の偏向マスコミがこうした使い方をする事で世界の常識を無視した使われ方を浸透させ様とする意図が伺われます。
何れにしても、教科書が嘘や事実を捻じ曲げて教えるものであってはなりませんし、国名の呼び方も朝鮮語で教える必要は無く逆に世界史の理解を混乱させるだけではないでしょうか。
教科書採択の時期です!歴史教科書問題特集!学び社の反日教科書の実態 第5話 [墨田区教育委員会採択の歴史教科書は自虐史観]

しかし、世界史を知る為には大変重要な内容ですのでご紹介します。
自由社の「新しい歴史教科書」48ページ上の写真等も掲載されたものです。
6世紀の前半、当時の百済は、高句麗、新羅に攻め込まれて存亡の危機にあった。
百済は再三に亘り日本に軍事援助を求めた。
百済の聖明王は日本との同盟を強固なものにする決め手として、552年に金銅の仏像と経典を大和朝廷に献上した。(仏教伝来)
東アジアの混乱を逃れて、多くの難民が一族や集団で日本に移り住み、金属器の加工、土木建築などの技術や漢字による朝廷の文書の作成にも力を発揮した。

高句麗に攻撃されて百済が倭国(日本)の大和朝廷に助けを求めた事情も理解できるのではないでしょうか。
さて、高句麗の広開土王の碑文には、倭国(日本)の軍勢が海を渡り、百済・新羅を「臣民」としたので高句麗がこれを撃退する為に兵を送ったと記載されています。
大和朝廷は高句麗と戦ったが、次第に形成が不利になり敗れて404年朝鮮半島から兵を引きました。
と言うのがこの間の歴史の流れですが、広開土王の碑文に現代の朝鮮半島情勢に通ずる内容の記載があるので余談として記載致します。
以下広開土王の碑文の抜粋を訳したものです。
三九九年百残(百済の蔑称)は自分(高句麗)の誓言に背き、倭(日本)と修好した。その為百済を警戒するために好太王は南下して平穣(壌)を巡視した。
そのとき期せずして、新羅が使者を派遣してきて好太王のもとに訴えて来て使者が言うには、「倭人がその(新羅と倭)国境に満ち、城池を潰こわし破り、新羅王である私は高句麗の民となっていますから、わたしは太王に帰順しその命に従いたいと思います」と話した。
好太王は慈悲深く、新羅の忠誠をたたえた。
そこで好太王はとくに新羅の使者に秘密の計略を授けて帰らせた。
四〇〇年好太王は将に命じて歩騎五万を遣わし、新羅を救いに行かせた。
男居城より新羅城にいたるまでのあいだには倭人が満ちていた。
官軍(高句麗軍)がつくと、倭賊は退却をはじめた。
(官軍は)倭 を追撃し任那加羅の従抜城まで追った。
この城はたちまちのうちに降服したので、新羅人にこの城を守備させた。
新羅城と塩城を攻め破り、倭寇は大敗した。
城内の新羅人の九割までが倭人について行くのを拒否し、高句麗の軍隊はまたこれらの城を新羅人に守備させた。
新羅城に居た残余の倭寇は敗走した。
また口城を占領し、同じく新羅人に守備させた。
以前、新羅王は自ら朝貢し命令に従うことはしなかったが、広開土境平安好太王が新羅を助け倭寇を撃ち破ったので新羅王はようやく自ら朝貢に来た。
と言う内容が書かれれていますが、近現代の朝鮮半島情勢と非常に似ていて、裏切りとすり寄り近隣諸国を利用しては都合の良い方に付く割に自国では防衛出来ない状況も西暦300年代から変わって居ません。
世界史の重要さはこうした歴史的な事実正確に把握する事で、現在起こっている諸問題の解決の方向性が読取れるものです。
正しい歴史を正確に学んでいますと、現在起きて居る問題や紛争の結論が出る前に先手を打って行動する事が出来ます。
教科書採択の時期です!歴史教科書問題特集!学び社の反日教科書の実態 第4話 [墨田区教育委員会採択の歴史教科書は自虐史観]

先ず、自由社の「新しい歴史教科書」の42ページに記載のものです。
前方後円墳は大和朝廷の古墳の形式であり、南は鹿児島、北は岩手県にわたる国内各地に約5,200基も存在した。
これらは大和朝廷の勢力の広がりを反映したものと考えられる。
豪族達の連合の上に立つのは大王(後の天皇)で、その古墳はひときわ巨大だった。
仁徳天皇陵(大仙古墳)は世界でも最大規模の王の墓である。
次に、学び舎の「ともに学ぶ人間の歴史」の37ページの記載は次の通りです。
5世紀には奈良や大阪府にひときわ巨大な前方後円墳が何基も作られました。
この事が、大王が中心にまとまった事を示しています。
これを大和政権と呼びます。
大和の周辺に須恵器や鉄製品を作る渡来人のムラが出来・・・
*渡来人:朝鮮半島や中国から集団で移り住んだ人々。
土器や鉄を作り、機織りの技術、漢字を書く文化を伝えた。
大和政権の豪族となった一族も多い。
*大仙古墳と銘打った仁徳天皇陵の写真のみ掲載されています。
学び舎の教科書には渡来人があたかも大和政権を作ったと誤認する様な記載があり、世界でも最大規模の王の墓である仁徳天皇陵については写真の乗せただけでその規模については触れていません。
続いて神話についての記載はどうでしょうか。
先ず、自由社の「新しい歴史教科書」の44~45ページに記載のものです。
日本の国の成り立ちは、8世紀に完成した日本で最も古い歴史書である「古事記」「日本書紀」に神話の形で書かれている。
イザナギ、イザナミとアマテラスオオミカミの誕生。
オオクニヌシの命と出雲神話、天孫降臨と神武天皇の東征、争いを避け、オオクニヌシがアマテラスに豊かな国土を渡した「国譲り」の神話には、統治の移譲が争いでは無くて話し合いによって決着している事を表している。
*2月11日の建国記念の日は神武天皇が即位したとされている、旧暦の紀元前660年元旦である。
*日本サッカー協会のシンボルマーク、八咫烏は、神武天皇を東征の時に導いた、3本脚の伝説の烏。
この様に具体的書かれています。
しかし、学び社の反日教科書には後出記紀編纂の箇所に若干の記載あるだけで我が国の神話に対しては教えようと言う気持ちが記無い事を皆さんは感じるのではないでしょうか。
教科書採択の時期です!歴史教科書問題特集!学び社の反日教科書の実態 第3話 [墨田区教育委員会採択の歴史教科書は自虐史観]

邪馬台国と卑弥呼、華夷秩序と倭国についていの双方の教科書の記載はどうなっているのか見て下さい。
自由社の「新しい歴史教科書」41ページの記載内容
中国には自国が唯一の文明国で、周辺諸国を蛮夷(野蛮人)とする中華思想があった。
邪馬台国や卑弥呼といった卑しい漢字で表記していたことも、それを表している。
皇帝は朝貢してくる蛮夷の支配者を臣下として「王」の称号を与え、王に封じられた国は朝貢国となった。
これを「冊封体制」という。
600年後になって国内が安定すると、日本は大陸文化吸収の為、朝貢はしても冊封されない国となった。
これに対して学び舎「ともに学ぶ人間の歴史」と題された教科書35ページには次の様に記載されています。
卑弥呼は貢ぎ物として、男女の奴隷10人と布を差し出した。
魏の皇帝は立派な絹織物や衣服などと銅鏡100枚を与え、「倭人たちをよく治め、皇帝に尽くせ」と伝えました。
卑弥呼を倭国の王として正式に認めたのです。
その後、「親魂倭王」の金印が卑弥呼に授けられました。
双方の違いを解説しますと、自由社の「新しい歴史教科書」には、華夷秩序についてきちんと書かれていますが、学び舎「ともに学ぶ人間の歴史」には、当時の華夷秩序には一切触れずに貢物を差出し魏の属国であるの様な記載がせらています。
つまり、当時の我が国がまるで魏の属国であるかの様な歴史観を生徒に植え付け、東京裁判史観やチャイナや韓国、北朝鮮の反日へと誘導する伏線が敷かれいる事に警戒する必要があります。
この歴史的史実をNPO法人武蔵観研の会長桑原正則氏のブログで当時の世界情勢から魏が逆に我が国に協力を求めて来た関係が詳しく書かれています。

つまり、当時から我が国は世界から恐れられていたのです。
この事から学び舎「ともに学ぶ人間の歴史」は極左の教科書と言われる背景を全国の教科書採択の委員の皆様に知っていただければと思います。
幸い墨田区は極左の学び舎の教科書は採用されていませんが、現在採択されているのは自虐史観が強い帝国書院の歴史教科書で今年の選定委員会で教育委員会の選定委員が何を選ぶかで墨田区教育委員会がどちら寄りか見抜ける筈です。
意図的に誘導された教科書で勉強してしまいますと生涯その洗脳か抜け出せず、仕事などで国際的な業務に関わる様になると外国人から馬鹿にされ使い物にならないとクビにされる可能性があります。
その理由は、上記の地図の様に国際関係は複雑に絡み合う国同士の力関係が読めませんと先ず仕事になりませんし、そうした力関係を読みながら仕事をして稼ぎ出さなければならないからです。
特に、末端で働く方は別として、国際金融、大手総合商社では正確な歴史的知識と世界情勢を把握する高度な能力が求められます。
こうした仕事では学生時代成績優良者が実績を伸ばせるとは限りませんし、逆に困難に挑戦し乗り越える挑戦者が求められる上に結果を出す事が常に求められますので、歴史や先人から学び応用する力が求められるからです。
つまり、教科書通りの回答を出せる人間は不要で教科書以外で学んだ知識を応用して未来を切り開いて行けるパイオニアが求められるからです。
特に欧米の外資企業では、彼らはここを見ますので彼らの都合よく教育された人間は使えない事を知っていますし、自分の国を愛せない人間が会社や仕事に忠誠を尽くせるのかを見抜きます。
今の日本の多くの教育現場で行われている教育は東京裁判史観に基づくもので、これが逆に世界を不安定にさせ波乱を起こさせる事で大儲け出来る人達の都合でコントロールできるように洗脳教育されている事に気付くべきです。
教科書採択の時期です!歴史教科書問題特集!学び社の反日教科書の実態 第2話 [墨田区教育委員会採択の歴史教科書は自虐史観]

何故そうなのかを当ブログでシリーズで学び舎の歴史教科書の洗脳教育仕組みをお知らせしたいと思います。
最初に注意すべき点は、子どもが学校で教えられた事をそのまま受け入れてしまう危険性で、先生が教えた事意外に比較できる知識がありませんから、嘘を教えられてもそれを否定する知識に乏しい点があります。
更に、学校側は教師が児童・生徒を指導し易くする為に、テストで縛り内申書に何か書かれるのではないかと言う暗黙の脅威を与え学校や先生が権威を持てる様な心理統制を行っているのが普通です。
つまり、間違った歴史を教えられ、仮にそれが歴史的事実を知る子供がそれを否定しても、テスト結果では不正解とされ減点されてしまいます。
昨日の当ブログでも麻布、慶応、灘校のほんの一部のエリート校が学び舎の教科書を使用している問題を指摘しましたが、グローバリストの支配する大学に如何に入れるかと言う得点主義で出題傾向に副う回答テクニックに優れているだけではないでしょうか。
しかし、長い人生で最終的に人生の成功者になれるかどうかは別物で、実際には巨大な組織の中で使い捨てられてしまう方が非常に多い事が私の学生時代の同窓生や仕事仲間の現在の地位を見ればわかります。
話は本題に入ります。
1. 弥生時代稲作の始まりについての記述では次の通りです。
まず、新しい歴史教科書をつくる会の推薦する自由社の教科書の記述が歴史に正確に書かれていますのでその内容をご覧ください。
日本列島には、既に縄文時代に大陸からイネがもたらされ、九州の菜畑遺跡では紀元前500年頃に、灌漑用の水路を伴う水田稲作が行なわれていた跡が見つかっている。
更に、青銅器や鉄器などの金属器も大陸から伝わり、後には国内でも生産された。
学び舎の教科書には次の様に書かれています。
稲作の技術や種もみ、道具を持った人達が、朝鮮から海を渡って来ました。
この人達は九州北部に住み着いてムラを作り、その後稲作は全国に広まっていきました。
学び舎の教科書の記述では、稲作の技術や種もみ、道具を持った人達が、朝鮮から海を渡って来ました。
この人達は九州北部に住み着いてムラを作り、その後稲作は全国に広まっていきました。
つまり、朝鮮からの移民が我が国に稲作を持ち込んだと取られる内容ですが、実際には人類の稲作の起源はインド地域ですので、稲作は東シナ海ルートと大陸ルートが想定されます。
それなのにまるで朝鮮からの移民がもたらしたと言う歴史観を植え付けており、我が国の子ども達を自虐史観で少しづっ洗脳させる為の伏線が張られている事に気付かされます。
教科書採択の時期です!歴史教科書問題特集!学び社の反日教科書の実態 第1話 [墨田区教育委員会採択の歴史教科書は自虐史観]

本来なら5月12日に開催された歴史教科書をつくる会の平成30年度の定期総会に出席する予定でしたが、私の後援会の総会と日時が重なってしまい残念ながら出席出来ませんでしたので皆様にここでお詫び申し上げます。
この冊子を読んで驚いたのは学び舎の教科書の記載内容で史実を無視した反日プロパガンダ教科書でどこの国の教科書なのか呆れてしまいます。
この教科書はこれまで採択されませんでしたが、天下りあっせん問題や出会い系バー問題で辞任した前川喜平(まえかわ きへい)が文部科学大臣官房審議官在任中採択させたと言われています。
この前川文部科学大臣官房審議官在任中には、朝鮮学校の高校無償化に対し民主党政権の意向を受け旗振り役となった事が産経新聞の報道で明らかにされており、とんでも無い輩が文部化科学省に白蟻のごとく入り込んでいました。
歴史は非常に大切で私自身学生時代世界史が面白く夢中になって読んだ記憶がありますが、その後人生に大きな知恵と未来を予測する知恵を授かったと痛感しています。
つまり、真実の世界史を知って居れば現在世界で起こる様々な出来事から、何が原因かが推測できその後どの様な展開になるのかおおよそ読めるものです。
こうした知識があれば投資(investment)関連の仕事には必需品で、報道や市場の噂に流されず的確な判断が出来るものです。
こうした厳しい世界では東大卒の人達が優秀かと言うと全く逆で、使い物にならないと言われる背景には、勉強は得意でも人間を読む力や先を見通す能力と言う点で差を付けられてしまっている感じを受けました。
その理由がこの冊子を見て分かった気がします。
学び舎の教科書を使用している一流校には、麻布、慶応、灘校で卒業生を東大に送り込む数が多い所謂エリート校と言われておりますが、グローバリズムに染まった教育で洗脳されてしまいグローバリストのポチと化してしまうのかも知れません。
つまり、グローバリストのポチになる事がエリートとして優秀と言う幻想に過ぎない点です。
現実のグローバル社会では、常に結果が求められますので結果を出せる人物が常に勝者になり、現在の資本主義社会では、多額のお金を稼ぎ出せる人間が真のエリートと呼ばれる厳しい世界です。
こうした競争社会では東大出が結果を出せない背景にはグローバリストのポチとして飼われているだけで、文部科学省の内部に入り込みアメリカのグローバリストの意向通り日本の教育を捻じ曲げて東京裁判史観を貫かす為のポチに過ぎない事が客観的な事実から分かります。
前川元文部科学事務次官の経歴は1967年に麻布中学校・高等学校へ入学、1973年に東京大学へ入学し、1979年に同大学法学部を卒業して文部省に入省しており、グローバリストのポチとして英才教育を受けている事が分かります。
こうした高級官僚は、エリート意識が強い割に自ら未来を切り開いて行けるタイプでは無く、組織の中で守られながら組織の看板で出世したタイプですから組織を追い出されれば全く使いものにならないのが物事の道理ではないでしょうか。
その為に、天下りの斡旋がリークされ文部科学事務次官を退任させられた訳ですが、その背景にはアメリカの大統領が民主党から共和党に変わり、アメリカの対日政策が変わりこの様な人物を下して他に変えるミッションがあった事が推測されます。
つまり、前川元文部科学事務次官は使い捨てられた訳で、その理由はこれまでのアメリカの民主党による我が国を弱体化させてアジアをコントロールする方法から、共和党政権では我が国を強化する方針に変わった事を意味しています。
裏を返せばかってのエリート校と呼ばれた麻布、慶応、灘校がエリート校の地位を落とす事が予想され、今は巨大な組織でポチとして働く人材は不要になり、本当の実力社会に変わる可能性が高いと思われます。
つまり反日歴史教科書で学んだ学生はこれから社会では落伍者になる危険があります。
最も強い者は、世界史の真実の歴史を学ぶ事にあり、組織の中で与えられた仕事するだけの歯車としての人生になるか、未来を切り開き道を作りながら進むパイオニアになれるかの分かれ道は真実の歴史を知る事から始まります。
グローバリストによる歪められた歴史を教えられ洗脳されてしまいますと生涯その奴隷として利用され最後は見捨てられる運命になります。
真実の歴史を学んだ者だけが先の見えない時代でも将来を正確に見通す事が出来ますし、マスコミの嘘の報道にも騙されないものです。
長くなってしまいましたので今日は、反日教科書が採択された背景を解説いたしましたが、明日からは学び社の反日教科書の実態について細かく解説して参ります。
墨田区教育委員会採択の歴史教科書は改正教育法を無視した自虐史観で記述 第5話 [墨田区教育委員会採択の歴史教科書は自虐史観]

先ず創氏改名とは何かと言うと、大日本帝国朝鮮総督府が、1939年(昭和14年)制令を定めて、本籍地を朝鮮に有する日本臣民(以下朝鮮人という)に対し、新たに「氏」を創設させ、また「名」を改めることを許可した政策です。
ここで注目していただきたいのが「制令」であり現在使われている「政令」とは意味が違います。
「制令」とはおふれと言う意味で「おふれ」とは役所からの布令・示達の称で一般にふれ知らす事を言います。つまり法的な拘束力はありません。
「政令」とは政治上の命令又は法令を言います。法的な拘束力あります。
実際には、創氏改名をしなくても懲罰をうけることはありませんでした。
しかし、これがいつの間にか強制されたかの様な嘘にすり替えられており、捏造された従軍慰安婦問題と似て居て日本を悪者にして弱体化させようとする人々にこれも利用されて来たのです。
そこで、墨田区教育委員会が採択した㈱帝国書院の歴史教科左側の書記載内容をご覧ください。
㈱帝国書院の歴史教科署は、創氏改名が強制的に行われたかのような文脈になっており、これは歴史の事実を誤認させようとする反日歴史史観で書かれている事がわかります。
これは明らかに史実と違い、創氏改名は先ず自己申告制であり、創氏改名をしなくても懲罰をうけることはありませんでした。
その証拠に、洪しよく中将のように創氏改名をしない大日本帝国軍人もいました。
当時の日本人は、欧米の植民地下にあったアジア人にとってあこがれと尊敬の存在であり、事実、朝鮮で80%以上が創氏改名を申し出た事が証明しています。
また、当時の韓国人は大変な身分格差社会で半分以上が名字のない賤民だったのです。
当時の庶民の生活は貧困のどん底でその様子は検索エンジンで「朝鮮 貧困層」で画像検索しますと当時の様子がご覧いただけると思います。
こうした人々を救済したのが日韓併合と、創氏改名で浅眠と言われ名前を持たない人々に氏名を与え身分的な差別から救済したのです。
その点、株式会社自由社の歴史教科書には次の様に書かれています。
日本の武士は「姓」と「氏」の両方を持っていたが、朝鮮人は姓のみで氏を持たなかった。
当時の朝鮮の姓は約250ほどだったが、日本式戸籍に合わせて朝鮮総督府は住民に「氏」を決めさせ、登録させた。
これが「創氏」である。
その際、日本風の氏を強制することはなかったが、多くの朝鮮人がそれを希望した。
創氏とは別に、改名は、希望者が手数料をおさめて許可された。
朝鮮人の約8割が日本風の名を名のった。
創氏は義務、改名は自由意志であった。
以上の様に書かれこの教科書が歴史的に正しい記述ではないでしょうか。