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実現した大空への夢と、天国から地獄へ!生死を彷徨う大怪我で長い入院生活第11話 [私はこうして起業した!40年で総資産5億円超に!]

30Oct2020-1.jpg世の中はバブル経済で私が買ったスーパーカーも大渋滞でろくに走れず、仕事が休めるのは国際金融市場が休みの土日しか休ませて貰えませんでした。


この頃になると、私のセクションも人数が増えて来て、実力も無いのに大きく動く顧客を回して欲しいと言われる事が多くなり、上司から担当替えを命じられ、実際にやらせてみると全くダメで、私に戻される事が多くありました。


はたから見れば簡単そうに見えるのですが、お客さんとは夜にお酒を酌み交わす仲ですから気心は知れているからこそ仕事を回してもらえる事を若いスタッフは見えていないからです。


上からはもっと稼げ、新人を稼げる様に教育しろと言われても、相場は大好きでも人の教育は苦手でした。


しかし、この頃になるとニューヨークに行ける可能性が出て来て、行けたら航空機の免許を取ろうと思っていました。


この頃は仕事のストレスが多くなり、ストレス解消の為に大空を飛ぶ事に夢中になり、最初はヘリコプターのライセンスを取ろうとして、資料を集めました。


アメリカでは、日本円で500万円程で、ヘリコプター組み立てキットが売られていて、自分で組み立てるものが売られていましたが、それも日本に輸入し国内で乗るには2千万円はかかる事が分かりました。


当時は、会員制のヘリクラブがあり確か、入会金は300万円程でした。


しかし、ヘリのライセンス取得は500万円位かかりますので、断念して飛行機にしました。


そこで、ニューヨークに行く前に、事前に学校に行って飛行機の免許を取る為の教育を受ける事にしました。


これも結構大変で、ATCと呼ばれる航空管制や航空機同士の無線通信特有の英会話や気象学、航空力学を学び、フライトシュミレーション、プリフライトチェック、そして滑走路をタキシング、離着陸の訓練が行われました。


これはフライトシュミレーションである程度出来ていたので簡単でした。


次の週には、飛行機の機体がよりハイパワーの機種に変わり、直ぐに高い高度になり、着陸態勢にはいる為に下降させるのですが、予想外に下降してしまい滑走路にハードランディングしてしまいました。


墜落の瞬間は、命の危険があるはずなのに、不思議な事に気持ちが良い上に、物凄い速さで飛んでいるのに時間がゆっくりと進んでいる様に感じました。


人が死ぬ前は苦しむものかたと思っていましたが、その瞬間はこんなに気持ちが良いのかと思っていると、地面に激突し、猛烈な体の痛みを覚えました。


見ると機体の周りには燃料が漏れていて、空気が陽炎の様に動いていたので、火がついたら大変だと脱出しようとベルトを外し、出ようとすると体が全く動きませんでした。


直ぐに教官らが消火器を持って駆け付け、救助され救急車で病院に行くのですが、受け入れる病院が無く2カ所ぐらい断れてから受け入れ先が決まった様です。


MRIの診断の結果腰椎が圧迫骨折し、脊髄を損傷していて明日にオペだと言われました。


両親が病院に駆けつけて来てくれましたが、合わせる顔が無いので意識が無いふりをしていました。


翌日になると、手術室に運ばれ酸素マスクをされると急に意識が無くなりました。


手術は16時間に亘る大手術で、輸血は5000CCと言われ、体の全ての血液を交換したのと同じ量だと言われました。


その後はICUと呼ばれる集中治療室に運ばれました。


不思議な事に、私が事故を起こした日の同じ時間位に神戸の私の従弟が病気で亡くなったそうで、こんな偶然があるのか、私の身代わりになったのか、それとも同時に死ぬ運命だったのかも知れません。


次回の第12話は、「医師から一生車椅子生活を宣告される、生死を彷徨い激痛で眠れない地獄の日々」をお送りします。

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