120年前に亡くなった4代前の曽祖父のお墓を発見!その4年後にお墓の引越し! [スピリチュアルなお話]
あれから25年ぶりに訪問すると、かつては土を高く積み上げた石黒藩の平内代官所の防塁の上の小高く土を積み上げただけの場所にあった碑に頑丈なコンクリート製の基礎と台が作られていました。
これを私の父が実物を見ていないそうなので、家族旅行を兼ねて弘前の親戚の家を訪問しその翌日に浅虫温泉に泊まり、小湊へ行きました。
旧小湊小学校跡地には、25年前は図書館しかありませんでしたが、今回は郷土資料館が作られていましたので、そこを訪問し、碑に書かれた大瀬熊三郎の末裔である事をお話ししました。
資料館の職員が気転を利かせて下さり、小湊小学校の元校長で現在は郷土史研究家の井筒氏に電話をして下さり、井筒元校長が昔の事を良くご存じで驚くべき展開になりました。
井筒元校長が大瀬熊三郎のお墓があると教えて下さり墓所の管理をしている日光院の宮司の所に案内して下さいました。
すると、この宮司さんは、25年前小湊の教育長をしており、当時私が来たと言う報告を受けたそうで、何故連絡先も聞かずに帰してしまったのか問題になったそうです。
宮司が大瀬熊三郎のお墓を案内して下さり、お墓参りをしました。
この宮司さんらが親子三代に渡り熊三郎のお墓を管理して下さったそうですが、次の世代ではこのお墓を管理できるか分からないので、大瀬家のお墓に入れて欲しいと言われました。
こうした事情から曽祖父が私に何らかの形で働き掛けたのかも知れません。
それから4年後の2015年8月4日にこの宮司にお墓仕舞いのお祭りをしていただきお墓を大瀬家のお墓に移しました。
不思議な事に、この翌年にこの宮司がお亡くなりなってしまい、これも何かの因縁だったのでしょうか。