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日本舞踊始めて30年!この度名取の苗字相許されました!日本の伝統文化の継承を! [日本文化]

07Dec2022-2.jpg2022年12月6日日本舞踊花陰会の名取試験が行われ、複数の課題曲を会長ら師匠の前で披露させていただき無事試験に合格致しました。


写真は、名取の免状で「右の者 試験の結果 當流ノ 苗字相許候」と花陰流の芸名を許され「花陰華宴士」となりましたの宜しくお願い申し上げます。


その時に戴いた、芸名の入った木札が写真右側で、流派の紋の入ったお名取が使用を許される舞扇を賜りました。


花陰流とは、故中島和子会長が墨田区で日本舞踊の大衆普及を目指して墨田区日本舞踊協会を結成しました。


故中島和子会長は花柳流の師匠でしたが、花柳流の分流として花柳流を陽(太陽)として、その陰(太陽に照らされて輝く月)を意味する、花陰流を創設し約50年の歴史のある会で、墨田区を代表する日本舞踊の会です。


私も毎年、墨田区の文化祭に出演させていただいております。


08Dec2022-3.jpg今までで一番思い出深いのが、錦糸町のすみだトリフォニーホールが1997年10月に開業し、こけら落とし公演で御覧の写真は、女形で日本舞踊「香に迷う」を舞わさせていただき、大ホール満席の2200名の観客の前で踊りましたが、観客の数に重圧を感じました。


こうした大舞台での緊張感はたまらない魅力があり、稽古ではどうなるのか師匠から心配されますが、本番はきちんとできるので、本番に強いと言われますが、その理由はこの緊張感かも知れません。


ここでの公演は、舞台装置が新橋演舞場に匹敵する程大変大がかりになり当時600万円程かかったそうで、会の負担が多過ぎる為にそれ以降は浅草公開堂で行われる様になりました。


日本舞踊は以前は衣装や舞台割などで大変お金のかかる芸事でしたが、故中島和子会長の大衆普及と言う願いが引き継がれ、衣装装束や舞台装置の簡略化等で誰でも出来る様に変わって来てました。


しかし、日本の文化を守る必要があり、音楽の地方さん、舞台装置の職人さん、照明さん、音響さん、衣装さん、かつらを結う床山さん、結髪さん、美粧さん、髪飾りを作る飾り職人さんと多くの伝統技術を持つ職人さんの文化も後世に残して行かなければなりません。


私は、今後も名に恥じない様に精進して参ります。


また、舞踊を支える職人さん無くして成り立ちませんので、日本の伝統文化の継承に今後もご理解とご支援賜りますようお願い申し上げます。

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