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第109話!遂げる事で信用が生まれる!日本の製造業を衰退させたのは日本の政治だった [私はこうして起業した!40年で総資産5億円超に!]

30Jun2022-1.jpg20代前半で独立し機械の設計事務所を立ち上げると、この時は正に製造業が最も活気がある時代で、次から次へと仕事の依頼が来て寝る時間も無い程の忙しさでしたが、仕事上のミスは許されません。


当時は経験不足で、配管などで曲げの状態がわからず現場に行き職人さんから教えてもらったり、後でメンテナンスし易い構造にする為に工場の現場に行き作業スペースや人間工学に基づく設計になっているか確認しました。


機械を動かす試験では電気配線のミスが無いかチェックしてから動かさないと、機械を壊してしまうので必ず立ち会わなくてはならず、当時の町工場は人材不足で電気の職人は確保が難しく普通の作業員にさせていたらです。


こうした仕事が評判を呼び、私の所に関西電力敦賀原子力発電所2号機の機械部分の設計と製造、据え付け工事、マニュアルの作成の仕事が入り、午前中は大手企業の設計室で施設全体の説明を受けたり担当部分の設計に関わり、午後は図面を書いて現場で部品を作らせる為の分解図と部品図を作成しました。


とても楽しかったのは、ほぼ毎月の様に新幹線と特急列車に乗り敦賀まで行く事で、完成した機械の据え付けの時は現場監督として現地に一カ月程滞在しましたが、夏は良い所ですが冬は大変で雪の中で現場まで行くのは大変でした。


普通の人なら投げ出してしまいそうな仕事でも、投げ出す事無く確実にやり遂げていると仕事は増え続け、集金に回ると、受け取った手形の合計金額が当時で3億円を超えていました。


それから製造業の流れが変わり、設計した機械の殆どがチャイナに輸出される様になり、こんなに技術を海外に流出させて良いのかと言う疑問を感じました。


その最大の原因は、田中角栄総理大臣の日中国交回復で鄧小平主席が来日してから、日本のメカトロニクスの技術が海外に持ち出される様になり、それを推進していたのは日本政府でした。


この状況から私は、日本の製造業に未来は無いと感じつっならば外国の企業に売り込みに行く事にしました。


そうして何社か飛び込みのセールスをしていると、今度は向こうから電話がかかって来ました。


長くなるので次回第110話に続きます。



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