SSブログ

教科書採択の時期です!歴史教科書問題特集!学び社の反日教科書の実態 第6話  [墨田区教育委員会採択の歴史教科書は自虐史観]

02Aug2018-1.jpg今日は仏教の伝来について自由社の「新しい歴史教科書」と極左の学び舎の「ともに学ぶ人間の歴史」と題された教科書の記載内容について比較検討してみましょう。


上の地図に示されたものは仏教の発祥の地からどの様にして伝搬され我が国に至ったのかを示すもので、我が国への北側のルートでもたらされた事が分かります。


逆に南側は多神教のヒンドゥー教結びついて同教の神の一つとして伝搬された事が分かります。


我が国へは、6世紀頃にチャイナ経由と朝鮮経由の二つのルートで入っている事が示されています。


さて双方の教科書にはどう書かれているのでしょうか。


先ず、自由社の「新しい歴史教科書」50~51ページ


6世紀の前半、当時の百済は、高句麗、新羅に攻め込まれて存亡の危機にあった。


百済は再三に亘り日本に軍事援助を求めた。


百済の聖明王は日本との同盟を強固なものにする決め手として、552年に金銅の仏像と経典を大和朝廷に献上した。(仏教伝来)


東アジアの混乱を逃れて、多くの難民が一族や集団で日本に移り住み、金属器の加工、土木建築などの技術や漢字による朝廷の文書の作成にも力を発揮した。


学び舎の「ともに学ぶ人間の歴史」38ページ


仏教は6世紀の前半に朝鮮半島の百済(ペクチエ)から伝えられました。


倭国で最初の仏教の指導者は女性で、3人の少女が高句麗(コグリョ)から渡来した僧に学び、さらに百済(ペクチエ)に留学し、帰国してから仏教の教えを人々に広めました。

この部分を解説しますと自由社の教科書には、仏教伝来の背景についてきちんと書かれていますが、学び舎の教科書には前半に朝鮮半島の百済から伝えられましたと単に書かれているに過ぎません。


更に驚いた事に「倭国で最初の仏教の指導者は女性で、3人の少女が高句麗(コグリョ)から渡来した僧に学び、さらに百済(ペクチエ)に留学し、帰国してから仏教の教えを人々に広めました。」と断言している点で他の様々な文献を見てもこの様な記載が無いのは何故でしょうか。


詳しい事をお知りの方がいらっしゃいましたらお知らせください。


上の地図で示した通り、仏教は朝鮮半島ルートだけでは無く、チャイナから海を渡るルートでも入っている事には一切触れていません。


この事は、朝鮮半島の現在の韓国に配慮した書き方と言わざる得ませんし、百済(ペクチエ)、高句麗(コグリョ)と括弧書きで韓国語読みさせている事からも韓国への斟酌が感じられる表現です。


国際的には、外国の地名や人物名はその国の呼び方でするのが公式ですが、日本の偏向マスコミがこうした使い方をする事で世界の常識を無視した使われ方を浸透させ様とする意図が伺われます。


何れにしても、教科書が嘘や事実を捻じ曲げて教えるものであってはなりませんし、国名の呼び方も朝鮮語で教える必要は無く逆に世界史の理解を混乱させるだけではないでしょうか。

nice!(8) 
共通テーマ:ニュース

nice! 8

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。