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東日本大震災から7年!震災の記憶を忘れない為に墨田区内の写真を掲載します! [各種問題]

20180311-2.jpg2011年3月11日14時48分の当時建設中だった東京スカイツリーの工事現場の状況ですが、クレーンのフックが大きく揺れクルクルと回っていました。


現場の作業員は身をかがめて付近の手摺等にしがみ付いていました。


20180311-3.jpg11日の為替相場は民主党政権下で金融政策が無策で景気も最悪で唯でさえ円高なのに地震発生で1ドル83円30銭から80円丁度まで3円30銭も一気に円高が進んでしまいました。


20180311-5.jpg夕方5時30分になって戻って来ますと三目通りの源森橋の上では、下り車線がご覧の大渋滞で、裏通りまで車が溢れ身動きが取れませんでした。


20180311-4.jpg同じ場所を12日6時20分に見に行きますと、昨夜居た車が20メートル程進んだたけでした。


大渋滞に巻き込まれたドライバーの皆さんは、ここで一夜を明かした様で少しでも燃料を節約する為に寒い中でエンジンを掛けずに止まって居た車が大部分でした。


この後は、ガソリンスタンドにガソリンが届かない為に5日間前後ガソリンが手に入りませんでした。


20180311-6.jpg都心からのサラリーマン層の方は自宅まで歩いて帰られ、帰れない方は小学校の体育館で一夜を明かされた方も多かったそうです。


情報伝達手段で有効なのはご覧の様な張り紙で、お店の方が帰宅困難者皆さんの為に手作りされた様です。


20180311-7.jpg源森水門は地震発生直後から閉鎖され、隅田川では津波が上がって来た関係で、係留されていた屋形船が流され、船同士が衝突して壊れたり、親水テラスの手摺を破損させていました。


水面には大量の流木やごみやロープ等が浮いており、スクリューを使う船舶の航行は不可能でした。


20180311-11.jpgご覧の記事は平成30年3月2日の毎日新聞の記事ですが、国土交通省や東京都が隅田川などを利用した帰宅困難者対策を検討していますが、現実を知らないお役人の机上の空論に呆れるばかりです。


東京都は、水辺ラインや屋形船を帰宅困難者対策として使うと言っていますが、これは自分達の天下り外郭団体の公益財団法人東京都公園協会が震災時に活躍するとして補助金を狙ったPRに過ぎず現実にはあり得ないと思います。


その理由は、大地震直後は余震が多くこの状況で船舶が航行する事は法律上出来ません、津波で水面にはおびただしい浮遊物が多く船舶はまともに航行できませんし、肝心の船舶が壊れている事も考えられます。


海上自衛隊の小型船でも隅田川を永代橋から上流へ行ける船舶は無いそうです。


20180311-8.jpg墨田区役所に作られた帰宅困難者の為のスペースですが、この状態で一夜を明かすのはつらそうです。


大規模災害時には、無理に帰宅しようと考えず出来るだけ会社の中に留まる方が安全ですし、鉄道などの復旧はかなり早く、一部を除いて翌日には使える状態でした。


20180311-9.jpg大変なのは、食料の確保で直後にコンビニやスーパーのパンやおにぎりカップめんはご覧の状態です。


食品は3日間は何も買えませんので、家庭には常に最低3日分の食料を確保し、カセットコンロは必需品ですので、カセットコンロのガスボンベも6本以上確保しておくと良いかも知れません。


災害は忘れた頃にやって来ると言われますが、当時の経験は忘れない様にしましょう。

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