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すみだ北斎美術館の謎を追う 第24話 怪しい北斎の門人の作品を購入!その3 [官僚利権とすみだ北斎美術館の研究]

20161119-1.jpg墨田区が平成23年度補正予算で購入した大山北李(おおやまほくり)の肉筆と言う名目で15万4千710円で購入した「享保雛図」(きようほひなず)と言う肉筆です。

これも明らかに現代に描かれた贋作だと私は鑑定致します。

その根拠は、時代考証をしてみますと解ります。

先ず、男雛が両手で握って居るものは、束帯の着用の際、右手に持つ細長い板でこれは笏(しゃく)と言われるもので、威儀(いぎ)を正すものとして用いられたものです。

この笏を両手で持った描写は、威儀に反するもので、威儀とは礼式にかなった、重々しく威厳のある態度・動作を意味しますから、威厳を削ぐ意図が感じられます。

また、この雛人形には、当然ある筈の親王雛は繧繝縁(うんげんべり・うげんべり)の厚畳に座っていません。

墨田区の享保雛図は、皇室を地べたに座れせて居るのですから、皇室に対する無礼どころか悪意を感じざるを得ません。

まして、厳しい身分制度のあった江戸時代にこの様な無礼な描き方許される筈がありませんし、庄内藩士であった大山北李がこの様な無礼な事をするとは思えません。

20161119-2.jpgこれが繧繝縁で最も格の高い畳縁で、天皇・三宮(皇后・皇太后・太皇太后)・上皇が用いるるものです。

庄内藩士であった大山北李がこの様な延喜式にもある重要な作法を知らない筈がありませんから、こうした歴史的背景を知らない現代の贋作作成者が捏造したものであると私は判断致します。

更に、全体に皺ががあり、これは保存の程度が悪いと言うよりも表装がかなり悪い事がここからも伺われます。

これも明らかな贋作だと私は鑑定しましたので古美術に関心がある美術大学の学生さんや研究者の皆さんはこの作品を研究対象にしていただけたらと願います。

私は贋作と鑑定しますが、もしも本物だったら庄内藩士であった大山北李が幕府や天皇制に対する反逆者だった事になってしまいますから、研究対象としては学術的に注目されるはずです。

享保雛は江戸中期の享保年間(1716年~1736年頃)の江戸が拡大し非常に景気の良い時代に京都で生まれて各地に広まったお雛様です。

この時代は、好景気を背景に豪華絢爛がもてはやされ、お雛様も豪華で高級なものがもてはやされ大きさも、初期は寛永雛ベースの13センチから18センチほどのものでしたが、どんどん大きな物になっていき、45センチから60センチ位のまで作られるようになりました。

これは現在国立博物館等に展示されているのを見ますので是非ご覧いただき笏(しゃく)をどの様に持って居るのかご確認いただければ幸甚です。


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