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すみだ北斎美術館の謎を追う 第22話 怪しい北斎の門人の作品を購入!その1  [官僚利権とすみだ北斎美術館の研究]

20161115-1.jpgご覧の肉筆は、葛飾北斎の門人(もんじん:意味は弟子のこと)である二代北斎(にだいほくさい)の肉筆として墨田区が平成24年11月に324,000円で購入した「徳川家康束帯坐像」(とくがわいえやすそくたいざぞう)と言われるものです。

2代北斎と称す浮世絵師は、複数居たと言う記録が当時の文献にあり墨田区が購入したものはその内どれなのかも、取得時の起案書には記載がありません。

結論から申しますと、これも贋作を買ってしまった可能性が高いと私は指摘させていただきます。

2代北斎が複数存在したとされる根拠は、二世葛飾北斎辰政、東都二世鈴木北斎辰政、亀屋喜三郎即、橋本庄兵衛等の名前が登場しますが、当時は名前を変える事がよくございましたので、同一人物である可能性も考えられます。

こうした学術的な背景が不明確な状態で、公金で真贋が曖昧なものを買う事は、価値の無いガラクタを掴まされる危険がありますので、手を出すべきでは無いと思います。

更に疑問な点が、江戸幕府の将軍であり既に神格化されている徳川家康公の姿を、大名絵師以外の浮世絵師が描けたのかと言う疑問がございます。

歴史的には、寛政の改革以後江戸幕府の禁令によって、徳川家や天正年間以降の大名家を描くことは禁止されておりましたし、文化元年(1804年)『絵本太閤記』を錦絵にした喜多川歌麿らは処罰されています。

時代考証を考えますと、狩野派の狩野探幽等の大名絵師ならともかく、一塊浮世絵師に過ぎない二代北斎が徳川家康像を描けるとは考えられません。

何しろ、当時は士農工商と言う天と地の差がある厳しい身分制度があり、特に武士の姿を描く事はご法度でしたし、武士が無礼な行為だと感じれば「無礼打ち」又は「斬捨ご免」と、その場で斬殺しても処罰されませんでした。

当時の庶民が自分の命を代償にしてまで将軍の絵を描くとは考えられません。

こうした時代背景を精査しますと、落款が二代北斎ならこうした当時の身分制度を知らない、比較的新しい時代の人が描いた贋作の可能性が非常に高いと言わざるを得ません。

資料評価員の取得に当たってのコメントが「浮世絵師が家康の肖像を描く事は珍しく、展示のみならず研究資料でもある」と書かれており、そのお粗末さには唖然としました。

つまり贋作である事をこの部分は認めた様なもので「浮世絵師が家康の肖像を描く事は珍しく」では無く、ご法度でしたから描けない筈であるとなるのが正解ではないでしょうか。

まして「展示のみならず研究資料でもある」と書かれており、歴史的の時代考証も出来ない無知な輩が研究したところで、いかにも権威を振りかざすかの様な論調で、やたら常套的なほめ言葉の羅列でしかない論文の体をなさないものが出て来るるだけだと思います。

墨田区の定義する学識経験者のレベルなのかと思いますととても寒くなります。

こんなものを展示されたら墨田区民の恥を晒すのも同然ですし、研究成果が「ガラクタでしたの山」となる事も予想されます。


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