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すみだ北斎美術館の謎を追う 第11話 2600万円のほととぎす聞く遊君図も利権の残滓!  [墨田区教育委員会事務局の官製談合疑惑の研究]

20161101-1.jpgご覧の肉筆は、墨田区が平成3年10月25日に25,750,000円で北斎の肉筆として購入した「ほととぎす聞く遊君図」です。

この肉筆について率直な疑問点を感じますのは、北斎の描く人物には、その人物の目線が対象物をきちんと捉えて描かれて居るものです。

しかし、この肉筆では遊君の目線は飛んでいるほととぎすを見て居らず、北斎らしく見せる為に北斎の過去の作品から写したパーツを貼りあわせだけの贋作であると私は鑑定させていただきます。

次に、遊君の座り方にご注目下さい、ふとんの角度等から考えますと実際にはどの様に座って居るのか分からない程いい加減な描写です。

この様な不自然な座り方では体に負担がかかりますから、ほととぎすを聞く程の余裕が無い筈です。

更に、疑問なのはほととぎすは飛びながらあの情緒ある鳴き声は出しません。

北斎ならこの様な描き方はしないだろうと思います。

そして、冷静に遊君の頭の位置や首の角度から人間の骨格の状態を考えて見れば、腕の位置や足の位置が極めて不自然です。

私が若い頃機械や製品の設計をして居た時に人間工学と言うものを学びましたが、これは人間の物理的な形状や動作などの身体的特徴、生理学、心理学的な側面から探求するものですが、これに当てはめると余りにも嘘が多いお粗末な肉筆なのです。

つまり遊君は垂直に近い角度で座って居なければ不自然なのです。

あれ程描き方を研究し観察された描写に優れた葛飾北斎がこの様な描き方をするでしょうか。

狂歌の部分の文字もしなやかさに欠け、墨の具合からかんり遅い筆の運びである事が感じられます。

江戸時代は筆は毎日使うものでしたたので、当時の人は素早く流れる様に描かないと墨の乾きも遅くなりますから効率が悪くなるので比較的に早く書く習慣があったのではないでしょうか。

筆跡も北斎の筆跡と比べて見ると分かりますが、筆跡が全く異なるのです。

最大の問題が、お値段だけが立派なこの肉筆がろくな検証もされず、平成23年のベルリンの北斎展等で展示されて居る事です。

20161101-2.jpgこれは1993年東武美術館で行われた大北斎展の図録での永田生慈氏の評論ですが、いかにも権威を振りかざすかの様な論調で、やたら常套的なほめ言葉の羅列でしかない事にお気付かれると思います。

これが北斎を代表する美人画の名品と書かれていますが、この構図や描写でどこがそうなのでしょうか。

専門家ほど真贋論になると水掛け論になる事を恐れて怪しいと感じても口をつぐんでしまうものです。

まるで、アンデルセンの童話のはだかの王様と同じで、うやうやしく権威ぶって常套的なほめ言葉の羅列をされてしまうと本物だと思わせるマインドコントロールの罠に嵌ってしまいますからご注意下さい。

墨田区のお役人はそもそも古美術の知識も経験も全くありませんから権威をふりかざす者の言いなりなりなり易いのです。

やはりこうしたものは、先入観や浅い知識は抜きにして、素の子供の目線で素直に物事を観察し良いものは良い、悪いものは悪いと主張すべきです。

古美術界の権威主義はアンデルセンの童話に出て来る二人の詐欺師と似て居て愚か者には見えない布を織ると言って王様たちを騙すのと似て居ますし、布地が見えたふりをして嘘をつく大臣、誰も逆らえない王様の構図が似ているのではないでしょうか。

こう言う人達は「北斎を知らない」とか些細な事柄を上げ連ねてそんな事も知らないのかと言う、まるで知識の無いものには北斎が理解出来ない等と言う言葉が出始めたら相手のペースに乗せられない様に要注意です。

美術品の様な価値が曖昧に見える世界では相手のエセ知識やプライドに付け込む巧妙な罠がございますのでご注意下さい。


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