知って欲しい反日教科書!大化の改新!中大兄皇子・中臣鎌足・曽我入鹿 [墨田区教育委員会採択の歴史教科書は自虐史観]
ご覧の絵は奈良の談山神社所蔵の「多武峯縁起絵巻」ですが、645年6月の雨の日、朝廷では朝鮮からの使者をむかえる行事が予定され、①中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)はこの機会を利用し、参列していた②曽我入鹿(そがのいるか)の首を剣で切り落とした図です。
③は京極天皇(中大兄皇子の母)は皇子にひれ伏して事の次第を述べました。
④弓と剣を持つ人物は中臣鎌足(なかとみのかまたり)です。
中大兄皇子と中臣鎌足が曽我氏を滅亡させた背景には、渡来系の氏族と深い関係にあった蘇我氏は渡来人の先進技術を利用して台頭し蘇我氏は三代にわたって権力を欲しいがままにしたとされています。
さて、これについて極左の学び舎の「ともに学ぶ人間の歴史」の39ページには、「645年、飛鳥の宮殿では朝鮮3国からの使者を迎える儀式が行われました。」
「その最中に中大兄皇子達が蘇我入鹿を殺害する事件が起きました。」
「事件の翌年、大化の改新と呼ばれる政治改革の方針を示しましたが、すぐに実行するには至りませんでした。」
これだけの記述では何が起きたのその原因についてもその結果についても何も書かれていません。
これに対して、自由社の「新しい歴史教科書」には次の様に書かれています。
「645年、中大兄皇子は中臣鎌足(後の藤原鎌足)らと共に蘇我蝦夷、入鹿親子を倒して蘇我氏を滅ぼし、新しい政治の仕組みを作る改革を始めた。」
ポイント!新しい政治の仕組みを作る改革、これまで皇族や豪族が私有していた土地と民を国家が直接統治する改革を始めました。
「朝廷は日本で最初の年号を立てて、大化元年とした。」
「東アジアで中国が定めたものとは異なる独自の年号を制定して使い続けたのは、日本だけであった。」
ポイント!この独自の年号を世界で最初に制定して現在「平成」も使用続けているのは、日本だけです。
「翌年には、これまで皇族や豪族が私有していた土地と民を国家が直接統治する公地公民の方針を打ち出した。」
ポイント!新しい政治の仕組みを作る改革が行われ、曽我氏により権力を欲しいがままにした政治の仕組みを変えるクーデターが起された点です。
日本人なら年号が何時作られたかや、世界中で日本だけが最初制定し現在も使われている事を説明できる必要があるのでないだしょうか。