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すみだ北斎美術館の謎を追う 第4話 約800万円で購入の玉子に蔬菜は贋作の可能性 [官僚利権とすみだ北斎美術館の研究]

20161025-1.jpgこれは平成6年6月7日に墨田区が葛飾北斎の肉筆として8,240,000円で購入した「玉子に蔬菜(たまごにそさい)」と題された肉筆です。

蔬菜(そさい)とは、人が副食物とする草本作物の総称で、草本(そうほん)とは地上の茎は木部があまり発達せず、1年から数年で枯れる植物を言い、蔬菜と言う言葉は明治には栽培された作物を指して言われる様になります。

画面中央にその特徴からウドの芽と思われるものが描かれていります。

ウドはウコギ科タラノキ属の多年草ですからそもそも蔬菜と題される事は誤りですし、有名な「ウドの大木」という慣用句があるのは、大きくなると食用にも木材にも適さないことからこの様な慣用句が生まれた様です。

大きな疑問を感じるのがここに描かれているものの構成から作者の主張と言うか何を描こうとしたのかその空気が伝わって来ません。

画面中央のウドの芽の描写で、これ程の長さがあるウドの芽なら中間部分や根元の部分に枝分かれが見られたり節のの様なものが見られますが、これが見られず、天然ものならこの様に地中部分が長くありません。

恐らくこの長さになる為には人工的な栽培方法が行われなければ無理なのです。

江戸時代に現在の様なウドの栽培方法が確立されて居た考え難く、冷静に時代考証して見ると矛盾が出て来ます。

裏を返せば、江戸時代にこれだけの農業技術があれが飢饉等で大量の餓死者を出す事は無くなって居た筈です。

また、年貢制度の中で田畑を潰してまでウドの栽培等をする事は当然ご法度ですから、恐らく当時売られて居たもは当然里山等に自生するウドだった筈です。

冷静に時代考証をして見ますと、江戸時代に北斎が描いたものではなく、明治以後の比較的新しい時代に描かれたものである事が推測されるのです。

更に、描かれて居る玉子、ウドの芽、わらび、シダの葉の大きさに注意してご覧ください。

それぞれの大きさに不自然さとアンバランスが見られます。

特徴的なのが、玉子とシダ科の植物の大きさをご覧ください。

余りに異常にシダが小さいので山椒の葉かと思いましたが、山椒の葉は左右がシンメトリー(対照)に葉が出ますから山椒では無い事が直ぐにわかります。

更に、わらびの大きさと玉子を比べて見ますと玉子が非常に大きい事がわかり、シダやわらびの大きさから玉子の大きさを推測しますとダチョウの玉子位の大きさになってしまいます。

江戸時代にダチョウが居たかと言うと当時「鳳五郎(ほうごろう)」と呼ばれ万時元年頃に江戸城で数ヶ月飼われて居たと言う説もある様ですが、その形状から見てもダチョウの玉子ではありません。

明らかに全体の構図や描写と言う観点から検証しますと稚拙過ぎますし、題名の「玉子」と言う表現も江戸時代には無かった筈で正確には「卵」と言う字が使われて居た筈で、時代考証からも不自然です。

しかも、ここに描かれた「玉子」らしきものもの描写が稚拙で立体では無く平面で描かれており、恐らく明治頃に描かれた稚拙な肉筆が存在し、それに北斎の落款を入れただけの贋作であると私は判断させていただきます。

この様な検証の必要が感じられるお粗末なものを、北斎の作品として展示されてしまえば、北斎を顕彰するどころか逆に北斎を貶める事になりかねません。

実際にはこの様なものに疑問を感じる専門家や知識人がいらっしゃる筈ですが、見て見ぬふりをするのでは何の為の専門家なのか分かりませんし、こうした矛盾を論破出来ない知識人が社会の為になる知識とは思えません。

やはり専門家や知識人は勇気を持ってこうした問題を語り誤りを正し、正しいものを後世に伝える責務があるのではないでしょうか。

こうした現実を見ても、すみだ北斎美術館は墨田区の教育関係の官僚の天下り先が本来の目的だと思いますし、北斎の専門の研究者が不在の名前だけの美術館にすぎません。

事実、すみだ北斎美術館の菊田館長は元両国中学校の校長で葛飾北斎の知識も乏しい方ですし、鈴木副館長は空間ディスプレーやイベント会社の株式会社丹青社側の方でこの方も葛飾北斎の知識など無い方とお見受けします。

それはすみだ北斎美術館の指定管理者は、墨田区の外郭団体である公益財団法人墨田区文化振興財団と株式会社丹青社の共同企業体で、墨田区文化振興財団はトリフォニーホールの運営が主で美術館の運営は無知ですからJVになった経緯があります。

この指定管理者の入札も他からは応札が無く結果的に随意契約になりましたが、これには裏があり入札仕様書に「区と密接な関係があり」言う文言がある排他的な入札仕様書で他社が応札出来ない形になっています。

つまり、「区と密接な関係」とは墨田区の官僚が天下りが居て、更に契約後も天下りを受け入れる指定管理者でなければそもそも応札も落札出来ません。

また、逆に葛飾北斎の専門家が居ればこれまでに取得した1500点以上の北斎資料の大部分が贋作である事を見抜かれてしまいますので目利きは敬遠され、むしろ精彩を欠いた無知で無能な輩に肩書きと言う権威を与えて支配や服従し易くして居る様です。

古美術の世界で贋作が出回る背景には、似非知識が最大の大敵で似非知識は権威を求め肩書きや最もらしい解説を真に受けてしまう人が多い為に贋作が出回る余地を与えてしまうのです。

更に、古美術の専門家も真贋論争になるとくだらない水掛け論に巻き込まれる事を嫌い、関わりを避けたり口をつぐんでしまう事もよくないと思います。

また、マスコミも記者やディレクターの質が落ちてしまいこういう方々が更に権威主義を頼りにする傾向があり、物事の真贋を見抜こうともせずに報道してしまう事も似非権威主義に拍車をかける結果になっていると感じます。

結果的に時間の経過と共に真贋は露わになるものですが、贋作は密かに処分される事が多いので私は当ブログに掲載する事でそうした事が出来ない様により多くの皆さんと情報を共有したいと思います。


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