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75年前広島に原爆が投下!チャイナ共産党の核武装!大量殺戮は繰り返されるのか? [崩壊迫る中国!CHINAリスクを検証する!]

06082020-1.jpg今から丁度75年前の1945年8月6日午前8時15分、アメリカ軍が日本の広島市に対して世界で初めて核兵器「リトルボーイ」を実戦使用し、大量殺戮の高架を上げる為にご覧の原爆ドーム上空600メートルで起爆させ核分裂爆発を起こさせ、約16万人が殺戮されました。


当時の欧米列強は、植民地支配を世界的拡大させ、有色人種の統治していた国を宣教師を使い情報収集しその後武力で占領して行きました。


この発端は、コロンブスから始まる大航海時代で、当時富貴の島ジパング(Sipangu)と呼ばれた日本を探す為だった記録されています。


北米大陸やアジアへの植民地侵略は、西欧の優れた武器の威力で我が国にも迫り、天文12年8月25日(1543年9月23日)大隅国の種子島、西村の小浦に一艘のポルトガルの帆船が漂着しました。


織部丞は、100名程のこの船の乗員を救出すると共に、同船の牟良叔舎(フランシスコ)、喜利志多佗孟太(キリシタ・ダ・モッタ)の求めで、この船を島主・種子島時堯の居城がある赤尾木まで曳航するように取り計らいます。


時堯は2人が見せた実演した二火縄銃2挺を現在のお金で約1億円で買い求め、家臣の篠川小四郎に火薬の調合を学ばせ、時堯が射撃の技術に習熟しその重要性を見抜いて金兵衛尉清定ら刀鍛冶を集めて複製を作らせました。


当時の刀鍛冶の技術力は凄く、1年ほどで日本各地で火縄銃が作られ、再びポルトガルの商人が鉄砲を売り込みに来ると、それ以上の性能の銃が作られている事に愕然とします。


この鉄砲は、当時では最先端の兵器で、戦国時代には日本はアジア最強の軍事国家で、豊臣秀吉の朝鮮出兵に見られる強大な軍事国家である事は欧米列強は、スパイとして送り込んだ宣教師から日本を植民地にする事は不可能である事を知っていました。


この技術力がその後の徳川時代約300年の平和な時代の礎になったのです。


その後、アメリカからペリーの来航で、欧米の技術力が蒸気機関の発明や産業革命で兵器の実力の差に江戸幕府愕然とます。


当時の我が国の知識人は、日本の平和ボケから脱却する為に幕府では国を守れないと討幕が始まり、戊辰戦争を経て明治維新を起こし新政府を樹立させ日本の近代化が始まります。


日露戦争中の日本連合艦隊とロシアのバルチック艦隊との両艦隊決戦を日本海海戦と言いますが、この勝利が初の有色人種が欧米列強を打ち破り有色人種でも勝てる事を証明し、世界の植民地が独立へと動く切っ掛けになります。


現在は、アメリカとチャイナ共産党の戦争が避けられそうもありませんが、最大の問題は、チャイナ共産党が核兵器を持つている事で、再び我が国が核攻撃を受ける危険性があるのです。


現在では、こうした弾道ミサイルを無力化してしまう電子兵器が開発させている様ですが、現在の我が国の国防予算で配備出来るのかと言うと現状の防衛費では無理かも知れません。


また、現在の日本技術力でこうした兵器は作れるかも知れませんが、スパイを取締る法律も諜報機関無いスパイ天国と呼ばれ、政治の世界でも自民党が内の親中派が政治を支配している状況では情報漏洩の危険があります。


つまり、アメリカからは、チャイナ共産党習近平国家主席を国賓として招く様な日本政府・親中安倍政権は信用出来ないと言う理由があり、技術も兵力も動員出来ないと言うのが本音かも知れません。


少なくとも日本の官僚も親チャイナ共産党が多く、自民党も親チャイナ共産党ばかりで、尖閣諸島が危機に瀕しているのに無策と事なかれ主義では、アメリカも親チャイナ共産党も動かす事は無理かも知れません。

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