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激戦の島ペリリュー!亡霊との出会い!第71話 脚本家下飯坂菊馬氏の話は本当だった! [私はこうして起業した!40年で総資産5億円超に!]

07Aug2021-1.jpgこの海岸は大東亜戦争前に養殖真珠の発明で知られる御木本幸吉による真珠の養殖が行われてた為に、この海岸は御木本ビーチと今も呼ばれています。


大変澄んだ海水が印象的で、この付近には旧日本軍の水上機の基地が複数あり、水上機の基地があった様で多数の水上機がアメリカ海軍の攻撃で沈められています。


恐らく当時のアメリカ軍は、予想外の場所から日本の飛行機が飛んで来るので驚いたと思われます。


それは、数基の飛行機が格納できる天然の鍾乳洞が複数あり、この中に飛行機を隠していれば容易に発見できないからです。


大きな鍾乳洞では、大量のドラム缶があり、戦争で必要な燃料はドラム缶に入れて保管していた事が伺われますが、それもアメリカ海軍の艦砲射撃で数発の砲弾が直撃し、大爆発した事が破裂し焼け焦げたドラム缶から分かりました。


遺骨収集作業は次第に奥地へ行くようになり、仕事の関係で最後までいられない方々が一斉に帰ってしまったので、残されたのは神社関係の人や僧侶の人と女性達で遺骨を収集しました。


そんな時に、ある戦闘豪の中に入ると、土砂で埋まっていて何もありそうも無いと皆さんが感じ、そこを出ようとした時です。


私の胸に英霊が呼び止める「ここだ、待って来れ」と呼び止める声がしたのです。


直ぐに私の両側にいらした神官と僧侶の方に、「英霊が話しかけて来たのですが、神職におられる皆さんは聞こえましたか」と尋ねるとそれぞれがきょとんとして「聞こえな」と言うのです。


それで、そこを出ようとすした瞬間に、英霊が私に取り付いたのか、私は何故かトランス状態になってしまい、「ここを掘ってくれるまで、私はここを出ない」と言い張っていました。


それなら皆でここを掘ろうと言う事になり、掘ってみると私が居た下からは、手榴弾で自決された英霊の遺骨が出て来ました。


また、その周りからは5体の英霊の遺骨が出て来て、皆が驚きました。


このペリリュー島には、亡霊が出る事を私は、映画の勉強の為に映画会社の松竹の本社で脚本家の下飯坂菊馬先生から、脚本の指導を受けていた時に、下飯坂先生が同島を訪問した際に聴いたと言う話をされたのです。


その時は、ペリリュー島何てまず行く事は無いだろうと思っていましたが、人生とは不思議なもので、この私がそこを訪問し、亡霊と出会うなどと全く予想もしていませんでした。


こうした事が切っ掛けで、下飯坂先生の映画の脚本「サクラ・サクラ」の映画化を頼まれ、映画製作の分野に進む事になりました。


第72話は、「松竹映画のプロデューサー佐々木猛氏との出会い」

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