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激戦の島ペリリュー島85万発の艦砲射撃でジャングルは荒野に!第69話 迎え撃つ! [私はこうして起業した!40年で総資産5億円超に!]

04Aug2021-4.jpgご覧の写真はグアムのアメリカ海軍の基地内にある戦争資料を集めた資料館にあったペリリュー島の写真ですが、この場所を遺骨収集をしながら歩きました。


激戦の島ペリリュー島での戦に参加したアメリカ兵の話しでは、この島を取り囲んだアメリカ第7艦隊の艦船が85万発の艦砲射撃を行った為にジャングルの木々は吹き飛ばされ、ご覧の様な地肌むき出しの荒野になったと言うのはこの事だと思われます。


日本軍は奥に見える小高い丘の中に戦闘豪を作り潜んでいました。


余りの艦砲射撃で硬い隆起サンゴ礁岩を堀り作られた戦闘豪の入り口は、爆風で吹き飛ばされたり崩れたりして穴の入り口は半分以上埋まってしまっていました。


04Aug2021-1.jpgこれは日本が構築した要塞で中には当時大砲が据え付けられており、敵の攻撃が激しい時は、鋼鉄の板を下げて交わし再び開いて反撃した様です。


鉄板を見ると徹甲弾が食い込んだ跡が見えます。


内部は複数の区画に分けられていて、一カ所が直撃弾を受けても他の区画が守られる構造になっていました。


04Aug2021-2.jpgこれは天然の鍾乳洞を利用して作られた要塞で、恐らく海軍の軍艦から取り外した榴弾砲で、当時は床に板が貼られていたと思われます。


04Aug2021-5.jpg地形の状態から上の榴弾砲のあった場所は、アメリカ軍が当時撮影した写真の山の中央付近と思われ、かなり激戦があった事が穴だらけのドラム缶が複数付近に散乱していた事からも、写真からアメリカ軍が釘付けの状態だった事が分かります。


当時、中川州男守備隊長は持久戦に備えた強固な陣地を築き、どんなことがあっても生きて最後まで戦えと将兵に訓辞し、米軍の上陸を迎え撃ちました。


この訓示の意味するもは、日本本土を守る為に、最後の最後まで抵抗し戦い続ける事で敵を消耗させ、日本本土を攻撃する事は、激しい抵抗を受ける事を連想させ、戦意を喪失させる事で本土戦を回避させるつもりだったと思われます。


私は、英霊の遺骨を収集させて戴きながら、彼らが我が国を守る為にこの遠い島にアメリカ軍を引き付け、大きな打撃を与ならが、死ぬまで戦った事を思うと、感謝の気持ちと自らを犠牲にしても、日本国を守る精神を学びました。


第70話は、「英霊と共に酒を交わし、共に寝る」をお送り致します。

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