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フランスリールとイギリスロンドンの長旅を経て帰国!閉塞状態からの脱出!第63話 [私はこうして起業した!40年で総資産5億円超に!]

21Jul2021-2.jpgフランスリール国際映画祭とイギリスのロンドン滞在の長旅を経て帰国すると、私の大きな旅行カバン重量が40キロ程あり、乱暴に扱われたのかこの様にボロボロになりました。


21Jul2021-3.jpg中に入れていたデジタルカメラもご覧の様に壊されてしまいましたが、航空会社にクレームを入れると修理代が後日支払われました。


リール映画祭のスタッフにこれからフランスからイギリスのロンドンに向かうと言うと、彼は「イギリスに行ったらフランスから来たと言わない方がいいよ」とアドバイスして下さいました。


これは、まるで日韓関係と同じで、フランスとイギリスの関係が余り良くないからだと分かりました。


パリのシャルルドゴール空港に行き出国の手続をしてゲートに向かうと、私が乗るはずだった飛行機が離陸の為ゲートを離れる所で、時間がタイト過ぎて間に合わなかったのです。


私の荷物だけが先にロンドンに行ってしまい、オランダの航空会社と交渉して次の便に乗せて貰える事になりましたが、このパターンはテロ事件でよくあるパーターンの様で荷物だけが載せられそれが上空で爆発何て事があるからです。


パスポートが偽物では無いか細かく調べられ、先の飛行機が安全に着陸さした事が確認できるまで次の便に乗る事ができませんでした。


次の便でやっとロンドンへ行くと、今度は先の便で届いている筈の私の旅行カバンが受け取れず、ホテルに届けてくれると言われたのですが、外国ではこれもあてになりませんので、荷物だけ東京に運ぶ様に指示しました。


デジタルカメラが旅行カバンの中にある為に、ロンドンでの撮影は出来ませんでしたが、宿はピカデリーサーカスの傍のソーホー地区で、とても治安が良さそうな場所ではありませんが、その怪しさが魅力的な場所ででした。


当時のロンドンはかなり荒れていて、地下鉄も街中も落書きで、若者の失業率が高く大変な状態でした。


日本に帰って来ると、余りに変わらない風景に驚きました。


こうした実績で新しい仕事が舞い込む様になり、仕事の幅も広がり交流も多くなりました。


仕事が取れる背景には、やはり映像制作の技術力で、プロの仕事では実は高度な技術が求められ、失敗が許されませんし、テレビの仕事では時間が勝負で、納品にはバイク便を良く使いました。


また、映像制作でCGと言う分野もあり、学校等でCGを学びに行きましたが、この仕事も膨大な時間がかかりますので、多忙を極めていた当時の私には、その様な時間が確保出来ずこれは断念しました。


海外で知り合った人々とは、メールやIP電話で連絡を取り合う事が出来、国際的に活動の場がある事を認識しました。

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