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海外出長は海外派遣要員選定だった!世界4大マーケットからオファーが!第6話 [私はこうして起業した!40年で総資産5億円超に!]

22Oct2020-1.jpg帰国の為にシンガポール・チャンギ国際空港に行くと台風が南シナ海上空にいるそうで、運航名と行き先をアナウンスする総合案内表示盤に赤く「CANCEL」の文字が並び、もしかしたら今日帰れないかも知れない状態でした。


しかし、時間の経過と共に台風が移動し丁度乗る予定の便名が表示され、ゲート番号が表示され搭乗開始の「〇」サインが付き遅れながらの離陸になりました。


写真は、その離陸直後に眼下の市街を映したのもので、上空には厚い雲がかかっていました。


帰国後、職場に戻るとリンクラインを通じて香港とシンガポールにお礼を言うと大喜びで声が帰ってきました。


この業界は、世界の市場とリンクラインで繋がっているので、私の情報も世界で共有されていました。


その後、上司から「香港、シンガポール、ロンドン、ニューヨークからオファーが来ているぞ」と言われると「ニューヨークへ行きたい」と希望を出し、最終的には海外に出られるならどこでも良いと答えた記憶があります。


ニューヨークへ行きたいと希望したのは、世界最大の金融市場に挑戦してみたいと思いましたし、あの広大な広さのアメリカが好きだからです。


海外出張後分かったのですが、全ての社員を行かせる訳では無く、海外勤務が出来そうな人をピックアップしていわゆる海外研修させ、適性や現地での評価を参考に海外市場に送り込む計画だった様です。


実は、海外勤務はかなり優遇されており、例えば海外から来ている外国人の住宅は、青山や神宮前の高級住宅が用意され、1カ月の家賃が50~100万円を受け入れた支店の負担で住め、海外ではメイドさん付きが普通です。


当然、私も海外勤務を直ぐに希望し、海外に行けると思いましたが、私の直属の上司が「彼がいないと、東京市場が弱くなってしまうと大反対」され私は行けずに、私よりも後に入って来た方がいきなり海外に出されました。


上司がこう言うのも一理あり、私が開拓したビッグプレーヤーと呼ばれる大口顧客は、私以外では電話に出てくれず、私が海外に行ってしまうとこうしたお客様から仕事を貰えなくなり東京の売上が激減する危険性が危惧された様です。


この頃には、最初4人しか居ないセクションが倍以上の8人まで増えて、更に、新規応募者の研修まで任される状態でした。


その中で、コロンビア大学を卒業された優秀な方が1カ月程職業体験に来られ私の横で仕事を見ながら研修していました。


しかし、彼は「この様な莫大なお金を瞬時に扱う仕事は恐ろしくて出来ない」と言って研修期間だけで辞めてしまいましたが、何故か彼とは気が合いその後も定期的にお酒を飲み合う関係が続きました。


これが、その後の人生で大きな転機となり、後に、独立して会社を起こした際に最大の協力者になってくれたのです。


この事は、当シリーズのもう少し後の部分でご紹介しますし、彼の勧めでハリウッドの映画祭に応募して、入選出来るチャンスを掴みます。


次回の当ブログは、「バブル経済の真っただ中で何が起こったたか、スーパーカーを購入!」をお送り致します。

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